・水茎文字(琵琶湖の湖面に現われる神代の文字)
“聖師は、私に親しくカタカナが正しい日本の文字であると教えられた。聖師は大石凝翁とともに、水茎の岡山の上から琵琶湖の湖面にあらわれた水茎文字を読まれたが、高熊山で神さまから教えられた文字そのものであったのでスラスラ読めたと語られた。この水茎文字で書かれたのが、聖師筆の神代文字ではなかろうかと考えられる。聖師筆の神代文字で現在残っているものは、大本神の御神体と元の大八洲神社の石の門柱と月刊雑誌「神霊界」と「神の国」の題字である。この形象は最も阿比留文字に近いものである。……”
(「大本教学 第十二号」 木庭次守『日本の神代文字』より)
(出口聖師が言われるには)“「水茎の岡山から天津祝詞を奏上すると、竜神が湖面に波頭を立てて神代文字を書くから読んでこい。わからなかったらそれを写して書いて帰れ、わしが読んでやる」とのことでした。さっそく、加藤明子さんと二人でたずねて行ってみたところ、……(中略)……加藤さんがここで天津祝詞を奏上されると、たしかに下の湖面にはスース―と波がしらが立ちます。何のことかわからぬので、それを手帖に書きとめ、聖師さまに報告したのです。……”
(「おほもと」昭和49年10月号 大国美都雄『聖地の萩と大山』より)
“琵琶湖に出る水茎文字を水茎の岡山から見るのは彼岸の中日であって、神界から使命のある人でないと竜宮から見せられぬ。王仁と大石凝先生が見たのであって、側にゐても見えないのである。琵琶湖に見に行くのが大変だから後では、金竜海(綾部大本神苑内)を造って見てゐたのである。一つの証拠に見るだけであって一度見たら十年か十五年は見る必要はないのである。神代文字で自由に現われるから之の判らないものは出てゐてもわからないのである。(昭和十八年)”
“大自然に出る水茎文字がお筆先と同じであるから天地創造の神が、お筆先をかいてをられることを証明するものである。大石凝先生はお筆先を知られないから之で見当をつけてゐたのである。お筆先に現われるか、水茎文字に出るかの差である。(昭和十八年)”
(木庭次守編「出口王仁三郎玉言集 新月のかけ」より)
*ちなみに、出口聖師は、「神代文字はむやみに使ってはならぬ」と言っておられます。
・チベットの聖なる湖、ラモイ・ラツォ
(「チベット・デビュー」オフィス・モモより)
*チベットの最高指導者であるダライ・ラマ法王が代々生まれ変る方であることは有名ですが、歴代のダライ・ラマが亡くなったとき、新たな転生者を発見する際の手掛かりとなるのが、聖湖ラモイ・ラツォの湖面にあらわれる文字や映像です。それらは高僧によって幻視され、その情報をもとに捜索隊がチベット各地に派遣されます。ダライ・ラマ14世の半生を忠実に描いた映画「クンドゥン」(「タクシードライバー」のマーティン・スコセッシ監督)の中にも、この湖の幻視のシーンがあります。