言葉の治癒力(シュタイナー、王仁三郎、ケイシー) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 「たとえ耳が聞こえなくても、意味が分からなくても、言葉の力は確実に作用している」

 

・ルドルフ・シュタイナー、そして日本に伝わる言霊の文化

 

 “次に言語感覚と概念感覚ですが、この二つはとても分かりにくいと思います。言語感覚と言っても、それは感覚として聴覚と同じことではないか、と思われるかもしれません。なぜかというと、いわば、唯物的、感覚的に、対象を分類していったときには、声は空気の振動を通して伝わってくるのですから、当然聴覚の対象として考えられ、別にそれと言語とをわざわざ感覚の分野で区別する必要はないと思えるからです。言語を言語として理解することは、すでに判断になってしまいます。これは楽器の音、これは人間の発する音声、というふうにただ言語の音声を他の音響から区別し、判断しているだけだ、と考えられるのです。

 しかしシュタイナーは、言語感覚で言う言語は、音響として聞く音とぜんぜん違うものだ、と言いたいのです。もし、音とことばが同じであったら、聖書は「初めに音があった」と言うべきであって、「初めにことばがあった」と言うはずはありません。

 では音ではない言葉というのは、そもそも何なのでしょうか。それは聖書でいうロゴスですが、ロゴスとは生命や光の根源にある叡智であると同時に、叡智そのものというよりは、この世に関わりをもっている限りでの叡智なのです。この世への関わりをもとうとしている叡智の志向もしくは意志がはっきりしていますので、人間の方からもこの叡智に結びつく可能性がいつも私たちに与えられています。そしてその可能性を実現する手段が私たちの「言語」なのです。ですから私たちの言語を通して叡智が透けて見えており、それを感知する感覚が言語感覚なのです。

 人体を解剖学的に見た場合の言語感覚の器官が聴覚の器官と同じもののように見えても、実際はそれだけではないのです。なぜかというと、音声を発する方の器官は、単なる音とは別なものを発生を通してそのつど作りあげているからです。言語感覚はそれを感覚的に把握するのです。これを理解することは近代的な考え方をする人にはとても難しいのですが、ただ日本では幸いなことに、「言霊」という言い方があり、また気合術といって、「エイッ」と気合を入れると相手が身動きできなくなったりします。あれは明らかに何ヘルツかで表現される音とは関係がありません。「エイッ」て言われると、身動きできないくらいのエネルギーを声は持っていて、それを他の音は持っていない、ということです。そういう一種の言葉の文化みたいなものが日本にはありますので、そういう面から見た方がわかりやすいかもしれません。

 言霊とは何か、ですけれども、シュタイナーは言霊を母音と子音とに分け、そしてオイリュトミーと言語形成法とで、それを知覚できるような具体的な方法を教えてくれています。

 日本では大石凝真澄美(おおいしごりますみ)という学者が一つの言霊学をうちだしていますが、それを受けて出口王仁三郎も独特の言霊学を打ち立てました。例えば彼は「霊界物語」という膨大な著述を大正時代に書き進めましたが、弾圧を受けて、昭和の初期にはしばらく執筆できなくなり、その後、あらためて最後の霊界物語『天祥地瑞』を著しました。この最後の霊界物語はほとんどが言霊の力で書かれています。

 言葉が物質の世界を作っているという考え方は、東洋では仏教の密教の中に見られます。仏教で三密というと、身・口・意です。密教は存在界を、「身」つまり物質と「口」つまり言葉と、それから「意」つまり意識の三つの統一によって成り立っていると考えています。真言宗の「真言」は、あらゆる形態をとって現われるのです。現象するものはすべて言葉が形をとって現われたものなので、人間が使っている言葉も力をもっています。ですから一度発せられると、現実に影響を及ばさざるをえないのです。

 教育、特に治療教育にとって、言葉は非常に重要です。言葉には治療の力がもともと備わっているので、耳の聞えない人であろうと、意味が受け取れない人であろうと、その人の前に立って、力になる言葉を発すれば、必ずその人に対して治癒力として働けるのです。このことは植物についてもいえます。サボテンや花に向かって話しかけると、生き生きと育つようになるのです。いくら障害をもっていたとしても、子どもに向かってだったらなおさらのことです。

 植物に対してそういうことがいえても、障害を持った人に対してはそういうふうに思えない、というのはおかしなことです。耳が全然聞こえないというのでしたら、まして耳が聞こえようと聞えまいと、人間の誰かに「おはようございます」とか、「今日はいい天気ですね」とか、そういった明るくてあたたかな言葉を言うのと言わないのとでは、とても大きな違いがあるのです。そしてそれが言語感覚なのです。”

 

             (高橋巌「シュタイナーの治癒教育」角川選書より)

*この出口聖師による霊界物語特別篇「天祥地瑞」は、戦前は非売品で、それまでの72巻すべてを拝読した者でなければ読むことを許されていませんでした(現在は誰でも購入することはできます)。また、72巻までは寝ころんで読んでもよいが、この「天祥地瑞」のみは正座して読まねばならないとされています。

 

 

・エドガー・ケイシーの霊的教育論 〔明示法〕 
 

 “ケイシーは、人が霊的であるために随分沢山のリーディングを出している。しかし繰り返して出てくるのは、「親切、公正、忍耐、寛大……」などの徳育の実践で、これらを基礎としてのち、瞑想、祈り、夢の研究解釈、自己分析、場合によっては占星学などを併用して意識の拡大をするようにすすめている。それらには多くのリーディングがあるが、ここではそれらにふれず、別にとても具体的な方法が示されているリーディングを読んで見たい。

 睡眠学習ということがいわれるが、これは古代エジプトにすでにあったということだ。「ソ連圏の四次元科学」(たま出版)にも似たような方法が外国語学習に使用されている例が出ている。これらは意識から意識へとふつうの形ではなく、意識から無意識へという形をとっていることが特長だ。

 以下のリーディングは十三歳の男の子にとられたものだ。

 

 「そこで、この身体が眠りゆくとき、両親共に… 一人一人でなく …暗示をこの身体に与える。その暗示は潜在意識を統制するため、祈りと瞑想中に感覚組織の諸器官に対する暗示からおこる動きを統制するための心と心の統一された働きのためである。これはまたその両親が祈りに生き、暗示が一致してなされることを必要とする。これら(祈りの)言葉は変えられてもよいが、以下の思想は含まれているべきである。

 

 『父なる神よ!あなたの慈悲、あなたの愛において、今私共(わたくしども)とともにいて下さい。私共は、このあなたの子供の心と身体がこの時あなたによってよりよき事件の経路となるよう導こうとしているのですから。』

 そして子供に対する暗示。(彼の名を呼んで)

 『あなたの内なる自己、あなたの潜在意識、あなたの超意識は父なる神の意識に反応するだろう。そしてあなたは地上における主の奉仕のためのよりよき経路となることができよう。』

 

 これらの暗示はもちろん時々変更しても良いが続けて毎日与えられるべきである。この奉仕のために毎晩少なくとも一時間さきなさい。このことは両親とこの実態が身体的、精神的、霊的な愛の発露となるためのいろいろな働きを招来するだろう。」

 

 『転生の秘密』にはこれを応用して長年のカルマからきている夜尿症が治った話が出ている。尚ここで出てくる朝意識とはリーディングによれば「魂の心」に相当するもので、我々が無意識と呼ぶ領域が完全に意識化されたときそれは目ざめるといわれる。”

 

     (「たま 復刊第一号」宮崎龍美『ケイシーリーディングによる霊的教育論』より)

 

 

 “リーディングは、私達の理想の姿、理想の状態を明示するときには、健康をもたらす唯一の力である生命エネルギーの私たちに対する最大関心事、つまり私たちが自分の身近にいる人たちをどう考え、どう待遇するかという理想の態度こそをはっきりとことばにしなければならないと教えている。

 この明示は、子供たちの悪い癖や症状を直したいというお母さんたちに数多くすすめられている。そのどれもが、無意識(潜在意識)がもっとも感応しやすくなっている子供の寝入りばなのまどろみのとき、その無意識に向かって直接お母さんの声で、決して「してはいけない」という禁止のことばではなく、積極的なことばで、その子の理想の姿、態度について語りかけるように求めている。もちろん子供の身体に手を置いたり、やさしくゆすったり、リズミカルにたたいたり、マッサージしながら明示をすることは良いことである。

 また子供が先に寝入ったときも、その枕元で低く声を出して語りかける必要がある。母親が子供を残して旅行に出たときなどは、子供には母親のテープを聴かせ、旅行先の母親はイメージの中で子供に向かって明示をするのである。

 次に紹介するのは、肉体的に非常に困難な状態で生まれてきた八歳の聾唖の男の子に与えられたリーディングの一部である。お母さんが子供に湿電池という器具を用いた治療をしている間に明示を与えなさいといって、


 「子供は聞くということはない。完全な視力もない。正常な味覚もないし、声も出せないが、私たちは繰り返し与えられる明示に、この魂、この実体、この潜在意識、無意識、超意識は反応するとみている。お母さん、ご自分のことばで語りかけてください。次のような目的で、祈りか明示をやってください。『この子は日々の生活の中でお世話になる方々に対する偉大な奉仕のために働きます。今ここにある無限のエネルギーの御意志に完全に同調しますように』と。こうしてやってください。ではこれで終わる。」(3676-1)

 もう一つ、「転生の秘密」の67ページに記されている例である。これは慢性夜尿症で親を困らせている十一歳の少年の話である。この少年が、二歳のときに彼の下に赤ん坊が生まれたが、このときから彼は毎晩寝小便をすることになった。地方検事であったこの子の母親は、心身医学的な治療や精神科学的治療をはじめとするさまざまな治療をこの少年に受けさせたが、効果が上がらなかった。ついに両親はエドガー・ケイシーのことを聞き、リーディングをとった。リーディングでは、子供のカルテの説明と共に治療法が与えられた。そしてその治療法においては、少年が夜眠りに入る前にある明示を与えること、そしてその明示の内容は、肉体的なものではなくて霊的なものでなければならぬと指示された。
 母親はリーディングの指示を実行した。リーディングを受けてから間もなくのある夜、彼女は少年のベッドのそばに坐って、少年が眠りに入るのを待って次の言葉を低い単調な声で言いはじめた。
 「あなたは親切で立派な人です。あなたは多くの人を幸福にするでしょう。あなたはあなたが付き合うすべての人を助けるでしょう。あなたは親切で立派な人です」
 同じ意味のことを、いろいろな言い方で、五分から十分、子供が眠りかけたときに繰り返した。するとその晩九年ぶりで、少年の寝小便のくせはピタリと止んだのだった。母親は数か月間この明示をつづけたが、少年はその間一度も寝小便をしなかった。次第に、週に一度の明示ですむようになり、そしてついにその必要もなくなってしまった。少年は完全に治ったのである。そればかりかその後の少年の成長の報告によれば、『親切で立派な人』 になったのである。

 「私たちはここに、明示に快く従う身体をもっている。すべての身体は、普通ではない心を通して、身体の交感神経系を通して、明示に快く従う」(4648-1)”

      (福田高規「エドガー・ケイシーの人生を変える健康法」たま出版より)
 

 “リーディングは時折、子供が寝入る時に暗示を与えて、さまざまな問題を克服させることを親に勧めましたが、知恵遅れの子供に対してもこれが勧められました。

 

 「その子供が寝入る時に、両親が、つまり父親と母親の二人が一緒になって、この子供に暗示を与えるのである……。あなた方自身の悩みは造り主に預けおき。この成長過程にある子供の内なる神性に届くように暗示を与えることだ。

 まず出エジプト記19章5節を読んで、自分自身を準備することから始めよ。そこに語られている言葉は、親たるあなた方一人一人に語られる言葉である。次に、出エジプト記20章を読む。特に最初の18節までに与えられる戒めを熟読することだ。これらの戒めを文字通りに守るだけでなく、霊的な意味において自分自身に適用することだ。

 次には申命記30章を読み、そこに語られている戒めを自分に当てはめる。

 そうすることで、両親が自らを準備する上で必要な基礎、目的、理想が得られ、子供に対して必要な暗示を与えられるになるだろう。これを実行せよ。(5022-1)”

 

   (レイチェル・ランネルズ「エドガー・ケイシーが示す愛と結婚の法則」たま出版より) 

 *「明示法」の注意:決して否定的な言葉や禁止の言葉を使わず、常に積極的、肯定的な言葉で、その子の理想の姿、態度について語りかけること。

 

 

・カバラー(ユダヤ神秘主義) 〔バール・シェム・トヴ(ラビ・イスラエル・ベン・エリエゼル)〕

 

 ”祈りにおいて、知っているかぎりのあらゆる集中の術をもちいる者は、まさに彼が知っていることだけを行うにすぎない。しかし、大きなつながりにおいて言葉を語る者は、その一つ一つの言葉の中に集中の全体がおのずからはいっていくのだ。というのは、どのしるしもひとつの全き世界であって、言葉を大きなつながりにおいて語る者は、あの上なる世界を目覚めさせ、ひとつの大きな業(わざ)を行うのである。”

 

            (マルチン・ブーバー「祈りと教え」理想社より)