ナオとミキ (大本開祖と天理教祖) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “「道のしおり」には、こう示されている。

 

一、 この道の取次は、女の方が結構である。男もよけれど、男の取次はとかく、我の出やすきものであるからしくじりて神の道をけがす恐れあり。

一、この道の取次は、女の取次がかえってよしとしたることあり。そは女は従順の徳あるがゆえなり。何事もおとなしく、しとやかにして神の教えをよくまもるの性あればなり。

一、瑞(みづ)の霊(みたま)素戔嗚の尊は、その御姿こそ荒くたけく見ゆれども、その霊魂は女なりしを見よ。

一、 肉体は男たりとも、瑞の霊のごとく、心は女のごとくなれとの教えなり。

 

 「霊界物語」のそのほとんど大半が宣伝使の活躍の場面であるといっても過言ではないのであるが、そこに現れてくる宣伝使の中には女性の宣伝使が多い。しかも男性の宣伝使に比較すると、女性の宣伝使に優秀なのが多いことは、見逃してはならぬことである。

 聖地エルサレムの天使長桃神彦命(ももがみひこのみこと)の三人娘松代姫(まつよひめ)、竹野姫(たけのひめ)、梅ケ香姫(うめがかひめ)が恋しき父を尋ねて長途の旅に上るが、ついに黄泉平坂(よもつひらさか)の戦いに参加して桃の実と現われ、魔軍をしていずれも戦う力なきまでに言向け和わし、神伊邪那岐命より、『意富加牟豆美神(おほかむずみのかみ)』という御名を賜るのである。かくして、刃に血塗らず、言霊の威力によって黄泉(よもつ)軍が言向け和わされて、天教山に凱歌があげられる。今日でいえば平和的活動の勝利である。

 天理教祖中山みき子刀自の因縁も、「霊界物語」に現われている。物語第十六巻に、『お節(せつ)』となっているが、のちに玉能姫(たまのひめ)という立派な宣伝使となって初稚姫(はつわかひめ)とともに活動をする。玉能姫は玉治別(たまはるわけ)、初稚姫、久助、お民の五人連れで、玉依姫命より一つ島の宣伝を命ぜられ、七日七夜諏訪の湖水に禊を修し、荊棘茂れる森林の大蛇猛獣の群れいる中をものともせずに進んでゆく。その時、小さい祠の前に醜い一人の男が何事か祈願しているので玉治別はツカツカと進んでみると、顔は天刑病でくずれ、身体一面何とも言えぬ臭気ふんぷんとして膿汁が流れている。その男は若い時より体主霊従のあらん限りをつくした天罰で、こんな病気になっているが、もし女の唇をもって膿汁を吸えば、病気は全快すると聞いたので助けてくれといって頼む。

 初稚姫はニコニコしながら、

 「おじさん、吸うて癒ることなら吸わして下さい」

というより早く足もとの膿汁をチューチュー吸うては吐き、吸うては吐き始める。玉能姫は頭の方より顔面、肩先、手という順序に吸うては吐き出す。お民も立ち寄って腹部をめがけて膿汁をチューチュー吸い始める。暫くの間に全身くまなく膿汁を吸い出してしまう。男は喜びながら両手を合わせ、路上にしゃがんで熱い涙にくれる。五人は一度にその男を中におき、かたわらの流れ水に口をそそぎ手を洗い天津祝詞を奏上する。男は忽ちうれしそうな顔をしながら、

 「ああ、ありがとうございました。誰がこんな汚い物をわが子だとて吸うてくれましょう。お礼は言葉につくされませぬ」

と一礼しながら、直ちに立って常人のごとく足もすこやかに歩みながら、ついに遠く姿も見えなくなってゆく。

 この初稚姫の霊魂が三十万年の後、大本開祖出口なお子と顕われ、玉能姫の霊魂が天理教教祖中山みき子と顕われたのである。 (霊界物語第二十四巻第四篇蛮地宣伝第十六章慈愛の涙参照)”

 

     (「おほもと」昭和36年2月号 桜井八洲雄『大本の神書に現われた女性』より)

 

・中山ミキの病気治し

 

 “卓越した霊能、それが中山みきの特質でもあった。その霊現の記録を列挙すれば切りがない程数多くある。

 みきは相手が真剣になって病気を治してほしいと願えば、たとえ医者が見放した瀕死の病人であろうとも治したとされている。身体を撫でたり、息を三度かける方法で平癒させるのが多かった。息を三度かけるのは神が元の人間を創造したときにそうして守護したことにちなむという。息を患部にかけるという方法は世界的に古くからあり、日本では息をかけて治す呪(まじな)いが神道系の宗教、たとえば出雲大社教などにも伝承されている。

 直接手当てできない遠方の病人などのために、みきは紙に息を三度かけた「お息の紙」を渡している。神に祈ってその紙を患部に貼ったり、肌身に放さずつけておけば、必ず全快したとされる。

 また小さな子供の皮膚病については、たとえそれが膿んでいても「どれどれ」といって抱き上げて自ら嘗めて息をかけたり、柔らかい紙をそこに貼ったりして治すこともあった。みきがそうすると、どんなにひどい皮膚病もニ、三日で跡形もなくすっきりと快癒したという。もちろん、これらの皮膚病は医者や医薬では治癒しなかったものである。

 みきが神懸かりで記した天啓文書の「おふでさき」には「これからは痛み、悩み、出来物も、息、手踊りで皆助けるで」

 「どのようなむつかしきなる病でも、真実なるの息で救ける」とある。手踊りというのは、やはりみきが創出した霊的救済法のひとつで、それについては後述するが、手踊りと息があれば、どんな病気も治るとしているのである。もっといえば、みきは本来は病という現象はないとも述べていた。”

 

  (豊嶋泰國「天理の霊能者 中山みきと神人群像」インフォメーション出版局より)