神々の音楽 (大本の音の芸術) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・神々の音楽 (大本の音の芸術)

 

 “数ある大本の芸術の中でも、特に音の芸術は、大きな力を秘めている。ひなぶり調や八雲琴、また祝詞においては宗教と芸術が一つになっている。祝詞を芸術と呼ぶことに躊躇する人もあるかもしれないが、本当の意味で、これらは芸術と言ってもよいであろう。

 宗教では古来から、視覚より聴覚の方がより重要とされてきた。祝詞の声、また太鼓の調べ、鈴の響き、笛の音などは、建物や神具が作られた時よりもずっと以前から存在していたものである。「音」の特異性の一つは、それが絶えず新しく創造されるものであるというところにある。だから楽譜や録音装置がなかった時代の音は、形のあるもののように、墓から発掘されるというようなことは有り得ない。現在われわれが聴くことができる、昔から残っている音というものは、幾世代にもわたり受け継がれ、生かされてきたものに違いない。

 大本の「音」には、この伝統の重みと同時に、また大本特有の力がある。というのは、大本で現在も育まれている芸術の中で、特に「音」には、出口聖師の影響、師自身の帰神がそこに感ぜられるからである。現在大本で聴かれるいくつかの音は、師が創造したもの、あるいは師の研究によって存在しているものだと思う。

 

 大本を訪れる人々にとって一番身近な音は、八雲琴のそれであろう。最初の引きがかりの音は、私には心に冷たい手が触れたように感ぜられる。そしてその振動は、音と音との間合いにも、耳に聞こえない響きを流し続ける。これはまさに「この時、声無きは声有るに勝る」と白楽天が述べたのと同じものである。八雲琴のフィーリングは、鋭く純で無駄がなく、ゆっくりと慎重で奥深い。聴いていると、いにしえに戻ったような気がする。

 それは偶然のものではない。大本の音は、「本源に帰る」というセンスに満ちている。八雲琴創始者・中山琴主は、古代日本の琴を長く研究した末、神秘的な啓示に導かれてそれを創成したという。最近の発掘調査によると、八雲琴は飛鳥時代の日本特有の六弦琴に驚くほど似ているということである。

 

 大本歌祭りは、中山琴主が八雲琴を創成したのと同じように、王仁三郎師が更生した。そこで朗詠される『ひなぶり調』は、遠い遠い昔の世界に私達を引きずり込んでしまう。

 また『弓太鼓』は、古代ペルシャにも見られるように、アジアの歴史に深く根ざしている。

 この弓太鼓の音と、エリセエフ氏(パリ、セルヌスキー美術館長)が「金声」と評した朗詠者のひなぶり調の声を聴いていると、あたかも自分自身が『金』に成り、体中を打たれているようなショックを受ける。

 朗詠される和歌もまた、いにしえのものである。というのは、それは純日本文学の始まりだからである。

 ひなぶり調は、音楽的な面のみならず、その言葉にも力がある。それは言葉と音楽の一致した、聖なる芸術と言ってもよい。

 大本歌まつりでは、鈴も使われる。鈴の振られる時のかすかな響きは、神道のもつ最も怪しげな様(さま)である。その時は鈴の動きとは無関係に、すずしい風が空気の裏側から吹いて来るように感ぜられる。この鈴の音も、大幣(おおぬさ)を振る時の「サー」という音も、かすかなうすい音で、正にこれは清めである。

 

 大本の一番珍しい音は石笛であろう。これは楽器や発声によって出される音とは違い、音以前の音である。音を創り出すために、穴のあいた自然石を吹く習慣は、東洋の古い歴史の中にはあるが、現在では大本以外に見い出すことはほとんど不可能に近い。

 王仁三郎師は若い頃、穴太で初めてそのような石笛を吹いたそうだし、のちに「この神人感合の道は、至善至重な術である」と言った。またその音色を「優美」と述べ、「『ユーユー』と吹く跡の音を引いて『幽』という音色だ」と語っている。

 古代中国で「壎箎(ちけん)」とは― 相和― の意味であった。「箎」は竹の笛、「壎」は土の笛で、この二つが合うと調和が生ずるという意味である。

 荘子は、木や石の穴に風が通って音を出すことを「地籟(ちらい)」、また人が竹の笛等を吹いて音を出すことを「人籟(じんらい)」と呼んだ。そして石笛を吹くことにより、その石が先天的に持っている力を出すことと合わせて、天帝が世を動かすことを「天籟(てんらい)」と言った。つまり天籟とは―― 万物をそれぞれ不同に吹き、それぞれの自己を現わしめる―― という意味である。石笛は天籟を象徴し、日本では「天の磐笛(あまのいわぶえ)」と呼ばれている。

 

 ほかに大本の力強い音には、言葉がある。祝詞と天の数歌(あまのかずうた)がそれである。祝詞は様々な所で神道によって使われているが、大本の祝詞の言葉もまた、王仁三郎師が言霊学を基礎に創造したものである。大本式の祝詞の奏上も、師の声によって生まれたものであろう。

 今日では天の数歌は、ごく限られた古い神社にしか存在しない。大本で唱えられているものは、これも王仁三郎師が創り直したものである。師は言葉の意味を解いただけでなく、実践的に、毎回だんだん高い音に上げながら数を数えることを繰り返した。唱える人の声が、だんだん高くなっていくと、あたかも霊にとりつかれたように感じる。天の数歌を聴く時、私は霊界に近づいたような気持になる。

 以上述べたこれらの音には、王仁三郎師の声の音色が聴かれる。師の声は、歌う時にも、話す時にも、いつもベルが鳴っているような、物を突貫くような調子であった。ある意味では、ショックな声であった。録音で聴くと、天に訴えているような、身にしみる声で、「……恐み恐みも曰す(かしこみかしこみもまをす)」と言っているのが聴かれる。そしてひなぶり調の「金声」は、正に王仁三郎師の声の魂の反映であろう。

 

 日本の神社では至る所で鈴が見られる。神様を礼拝するためにその鈴を鳴らす。またもう一つの大切な神道の音に拍手があるが、それも鈴と同じように心までしみ込ませるような、神様に話しているような音である。多くの大本の音には、そのしみ込まれるような、ショックな、冷静な純粋さが感ぜられる。

 伶人の「伶」という字は、昔は音楽家を意味していた。その後、「伶」は「鈴」という字に置き換えられ、それから「鈴」は「冷」と変えられた。「冷」は、「令」と「命」に密接に関連があった。大本三代教主・出口直日師は、祖母にあたる大本開祖出口なお刀自の声は、「金の鈴を振るようであった」と語っている。それに対して、王仁三郎師の声は、銅鑼のように響く声と言えるだろう。それと同じくして、大本の「音」は、「神令の鈴」なのであろう。”

 

   (「人類愛善新聞」昭和52年11月号 アレックス・カー『大本の音の芸術』より)