出口王仁三郎のニセモノ | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・出口王仁三郎のニセモノ

 

 “昭和二十五年の終わりごろでしたか、淡路の人で元大本の宣伝使をしていた奥城さんという人が金沢にきまして、聖師さまから禁じられた霊媒みたいなことをやったんですね。そしたら神がかりがたくさんでたんです。その中の一人の女性が、やはり神がかりになって泣いたりわめいたりしているんです。ちょうど私が金沢に行った時、それと出くわしたんです。「神がかりとはめずらしいな」というわけで、私もそのころ興味をもっていましたし、私の母もいろんなところの宗教遍歴をしたんです。母にいわれて魚津に行って神がかりを見たこともあったんですよ。

 

 ところが、その宣伝使の鎮魂帰神はちょっと違うんですね。私には絶対かからなかったんですけど。神がかりになるというのは霊魂の性質なんですかね。私の兄の娘も妻君も神がかりになるんです。金沢で越田という娘さんが神がかりになって警蹕(けいひつ)をあげたんです。それは四方に響くようなすばらしい警蹕をあげるんですね。兇党界の霊が憑きながら、どうしてあんな警蹕があがるんだろうと思って不思議で仕方がなかったですね。

 それから木津へその宣伝使がきて私のところにまいりました。私の家でいろんなことをやりましてね。木津だけで十人位の神がかりができました。私の兄や兄の娘なども、東京の悪い男の霊が憑いたらしくって、酒など飲んだことない兄が酒を飲んでみたり、近所の五十歳位の女の人も神がかりになって、座ったまま四尺くらいポーンと飛び上がるんですよ。

 きつね憑きとはああゆうもんですかね。その婦人は尋常小学校を四年しかでてなくて、学問などぜんぜんない人ですよ。それが、「スズメはチュウチュウ、カラスはコウコウ」とスズメとカラスの話から忠孝両全を説くんです。しかも八木節で。「ちょっとでましたさんかく野郎がー。」という節で。私が横で扇子でもって音頭をとる役をしましたが、もう、とうとうと三十分ぐらい忠孝両全の道を説くんですね。これはどういうことかと思いました。

 その当時は大本の信仰も浅く、これは本物だと思ってしまいました。それでその婦人が最後に何を言ったかというと、「私は出口王仁三郎の霊であるぞよ。」とやりだすんです。「ただし聖師ではない。出口王仁三郎個人の霊である。」と、こういうわけです。そして、「今の大本はこのままではだめだ。王仁が行って改革しなくちゃいかん。すみこに言わなきゃいかんことがある。」ということなんです。そして、私に綾部まで一緒に行ってほしいということになったんです。それじゃ、ということで、その女性と淡路の宣伝使と三人で夜汽車に乗って綾部へと向かったんです。

 車中では一晩中、神がかりになって、いろんなことを言うんです。私に碁を教えてやろうというわけです。私は将棋は三段、碁は二段で勉強したんです。これは面白いと思いました。私に教えられるものかと思いながらも、紙に線を引いて碁の定石を教えてくれるんです。それが理にかなっているんですね。尋常小学校四年しか出ていないのに、私より知ってるんですね。その外に、二代さまに会ったら、こんなことも、あんなことも言わなきゃいかんという具合で、話ながら綾部まで行きました。

 

 当時二代さまは要荘(かなめそう)にいらっしゃって、玄関から部屋に通していただき、ご面会の機会を得ました。三人で部屋の中でお待ちしていますと、そこへ入って来られまして開口一番、「あのな奥城さん、あんたなあ、いつまでもそんなことしとっちゃあきゃへんで。」といわれました。

 私はそれまで二代さまは何回かお姿だけは拝見していたんですが、太った方だなぁと思っていたくらいでした。ところがその時は驚きましたね。背筋が寒くなるほど驚きました。というのは、目がランランと輝いているんです。そりゃ水晶というか、ただびっくりしました。と同時に、ほう、たいしたもんだと思いました。普通の人じゃないな、まさしく神人だなと思いました。

 一緒に行ったご婦人も、奥城宣伝使も何も言わんのです。あれだけいろいろ言う約束だったんですが。ただポカーンとしているんです。憑いていたものがとんでしまったんでしょう。それっきり、神がかり状態がとれてしまったんです。帰りの汽車の中ではもう普通の状態にもどっていました。まあ偉大なもんですね。そういう体験をして感心しました。奥城さんの鎮魂帰神に問題があったんですね。

 

          (「愛善世界」№3 高橋七郎『二代さまに魅かれて』より)

 

*出口聖師は、生前に「自分の御用は一代限り」、「ワシが死んだらワシの名をかたるものが何人も出てくるが、みなニセモノやで」と言っておられました。出口聖師の生まれ変わりだとか、霊界の出口聖師からメッセージを受けているとか主張する連中が何人もいるようですが、おかしなものに惑わされないよう、よくよく注意すべきだと思います。