地雷復(冬至の卦) 〔易経〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・地雷復(冬至の卦) 〔易経〕

 「復は亨(とお)る。出入疾(やまい)なし。朋来たりて咎なし。その道を反復す。七日にして来たり復す。往くところあるに利あり」

 “魏の王弼は「復はそれ天地の心を見るか」に注して次のように述べる、「復とは本に復(かえ)る意味である。例えば、動きがやめば、本の静に復る。静とは動に対立する概念でなく、絶対の静である。同様に、無は有の本であるが、有と相対するのでなく、有無の絶対を超えた絶対の無である。天地は森羅万象を有し、千変万化するが、その本は無であり、静である。絶対の無、絶対の静こそが天地の心である。天地が有を以って心とすれば物を生むことはできぬ。復の卦はすべての動きが地中にやんで、静に復る時。ここに於いて天地の心が見られる」この解釈は明らかに老子の哲学によっている。『老子』に「万物並び作(おこ)るも、吾は以って復を観る」とある。

 王弼の解釈に対して、宋の蘇舜欽は「復卦は冬至の日を示すが、冬至とは陽気が下に動き出す時で、無とか静とか想定すべきでない」(『蘇学士集』復弁)といい、朱子も「天地の心を無といえば、復卦の下の一画をどう説明するか」と反駁する(『語類』七一)。けれども倫理的な考え方の方向としては、実は朱子も王弼も大差はない。朱子の『本義』に「一陽来復の卦に於いて天地生々の心が見られるということは、人間についていえば、悪が極まって善に復る。ほとんど消滅したかに見えた本心が復(ま)たちらりと現れることである」という。孟子は人間性を相対的に善なるものと見、修養の方向を拡充と規定した。老子・荘子は人間性をそのままで完全なものと見、修養の方向は復帰にあるとした。王弼も朱子も後者の方向である。

 宋の卲雍(しょうよう)の詩、冬至吟に「冬至子の半ば、天心(天の中心)改まり移ることなし。一陽初めて動く処、万物未だ生ぜざる時。玄酒(お供えの水)は味正に淡く、大音(すぐれた音楽)は声正に希(ま)れなり。此の言如(も)し信ぜずんば、更に請う包犠(ふつき)に問え」とあるのは、復の卦にかかわる。復は冬至の卦であるから。朱子は『本義』にこの詩を引いて、読者よろしく心を尽くすべしという。”

 

        (本田済「易」朝日新聞社より)