「メメント・モリ」(死を想え) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・「メメント・モリ」(死を想え)

 

 生前に死後のそなえのなき人は 死期せまるとき無限の悔いあり

 

 おおかたの人のあわれは死してのち 天国あるをさとらぬことなり

 

 世の中に死後の世界を知らぬほど 淋しきものはあらじとおもう

 

 天国に生くるのぞみのあればこそ げに人生は楽しかりけり

 

        (「愛善の道」瑞光社より)

 

 

・メメント・モリ(死を想え)

 “メメント・モリ……「死を想え」。肉体を侮蔑する最も説得力のある方法は、腐敗と崩壊の多様な段階にある、人間の身体の現実描写に加えて、死の醜悪さの黙想であった。中世の修道士の瞑想法では、自分の死を可視化し、自分の身体が徐々に腐肉となり、骨となり、最後には塵となるさまを観想することが求められた。これはチベットのタントラ仏教の瞑想修行を想い起こさせる。身体は心の中で破壊し尽くされ、より具体的な修業では、修行者は死体を墓地の中に瞑想しなければならない。非日常的な意識状態に関する現代の研究は、この種の修行が病気の話題に異常なまでに没頭することをはるかに超えていることを証明している。必然の生物学的な腐敗という最悪の事態も含めて、人間の肉体性を心底から受け入れることは、人間が身体を超えた存在であることを悟り、また肉体の超越と霊的な解放の必要条件となる。ただひたすら世俗の快楽や権力、富のためにのみ生きるべきではないというのが、「アルス・ウィウェンディ(生の作法)」のメッセージである。それは必ずや人間を堕落させる。そうではなく、この世を超越した実在に眼を向けることを学ぶべきなのである。”

 “「モルス・ケルタ、ホラ・インケルタ」(死は必定なれど、その時は定めがたし)。この格言は、あらゆる知恵の始まりである、死を自覚することを教えている。邪悪な行いを避けるために、人生の中に絶えず不寝番を立たせることも提唱している。主要な関心とすべきは、万難を排し、あらゆる実行可能な手段を用いて長生きや延命をすることではなく、神の律法に従って正しく人生を送ることである。死がいつ襲ってくるのか、誰もわからない。したがって、人生の一瞬一瞬を、あたかも最後の時であるかのように送らねばならないのである。
 このことは、必ずしも死の不安や予期に始終怯えながら生きるという意味ではない。このような態度に対しては、もっと楽観的な解釈もできる。すなわち、多くの取るに足らぬ目的を追い求めて時間と精力を浪費する程度を小さくし、代わりに、今この瞬間に歴然と存在している人生という賜物を、最善を尽くして全うしようと努めるのに役立つのである。”

    (スタニスラフ・グロフ「死者の書 生死の手引き」平凡社より)