・小さなことにも心を込めて
“『土瓶の口は東に向けておくこと』『戸障子の開け閉めはチャンとすること』これは聖師さま(王仁師)が常にやかましく言われることでした。ともすると、あわてて土瓶の口を何の考えもなく、方向をかまわずに置いておいたり、あわてて戸を開け閉めして、一、二寸開いていることがあると、その都度、聖師さまはきびしく注意されました。
『ホラ、土瓶の口がアベコベじゃ』
と東を向いていないと、よくご自分で直していただいたこともありました。土瓶の口を東へ向けておくと、陽気を呼び、家相がよくなる、と仰いました。そして、
『お前たちは、こんな小さいこと、と思うだろうが、小さいことの出来ない者に、どうして大きなご用ができると思う。小さいことに心を配ってこそ、大きな仕事が出来るのじゃ』
と、よくおさとし下さいました。
私は家でよく、うっかり土瓶の口を考えずに置くことがあります。すると娘が「お母ちゃんは、土瓶の口を東に向けるようにと言いながら、あべこべやで、自分がちゃんとせんとあかん」と言いながら、直してくれます。聖師さまの申されたことは、よくよく心して、実行させていただきたいものです。”
(「人類愛善新聞」昭和51年9月号 三浦玖仁子『聖師の想い出』より)
・リジューの聖テレジア (カトリック聖人)
“聖テレジアは一八七三年、北フランスのアラソンに住む、信仰深いマルタン家の九人兄弟の末っ子として生まれた。
一八七七年、母の死を機に、父と四人の姉と共にリジューに移った。一八八七年、既に修道院に入っていた二人の姉の後を追い、カルメル会への入会を志願したが、年が若いという理由で許可されなかった。しかし翌年四月、十五歳で彼女の願いは叶えられ、カルメル会修道院に入会した。二十四歳で亡くなるまで、一歩も修道院から出ることなく、神の囲いの中で厳しい観想生活を送っている。
テレジアは、当時世間から忘れられた存在だったわけだが、共に生活していた修道女たちからも、平凡なシスターと見られるくらい目立たない存在だった。そんなテレジアが、カルメル会の院長をしていた姉のポリーヌに命じられて自叙伝を書き始める。この『ある魂の物語』と題された自叙伝が、テレジアの死後広まり、世界中にテレジアの名前が知られるようになった。
日本でもマリアに次いで、テレジアを洗礼名に選ぶ女性が多いそうだ。巡礼グループの中にも、テレジアを洗礼名にしている方が何人かおられ、「ここに来るのが夢だったの」と、少女のように生き生きと話されていた。
礼拝堂で、マザー・テレサの像を持っている外国人を見かけ不思議に思っていたが、あのマザー・テレサも聖テレジアにちなんで、シスター・テレサの名を選んだそうである。”
”ところで、シスター・リアはベルギー出身の笑顔のチャーミングな女性だった。神を愛する思いが強く、神に愛されたい思いも強い聖テレジアの魂が、シスター・リアの中に息づいているかのように、彼女の説明はテレジアへの情熱にあふれるものだった。そんな彼女の教えてくれた中でも、特に印象に残った言葉は、
「普通のことを、普通でない方法でやる。言葉・行いに百パーセント愛を込める。これがテレジアの小さな道」
「神はありのままの私たちを受け止めてくれる。欠点も問題も罪も、ありのままを受け止めてくれる」
「神が必要としているものは、私達の業(わざ)ではなく、愛である。あらゆる日常の機会も逃さずに、イエス様を喜ばせる」
私がイメージしていた聖人とは、世界を駆け巡り布教を行ったフランシスコ・ザビエルのような宣教者や、火あぶりの刑で殉教したジャンヌ・ダルクのような歴史に残る大きな業を行った人だった。しかし、テレジアは私の知っている聖人とはまったく別の光を放っている。
テレジアは平凡な日常生活の全てを、信仰によって生きていた。物を拾うときもただ拾うのではなく、愛を込めて拾い、縫い物をするときも、一針一針に神への愛を込めた。
万物を創造し、奇跡も簡単に起こせる神にとって、私たち人間の業など微々たるものだと思う。いくら大きな箱の贈り物をもらっても、肝心の中身が空(から)だったら、神様はがっかりされるだろう。神様が真に欲しているのは、私たち一人一人の神への愛なのかもしれない。
「何をやったかではなく、どれだけ愛を込めて行ったか」が、大切なのだということをテレジアから学んだ。”
(立石圭子「ルルドの小さな軌跡 道を求めてフランス巡礼地へ」新風舎より)