・出口聖師と丸山貫長② (如意宝珠の出現)
“聖僧・丸山貫長師は、霊夢のとおり竜門岳を開き、不二真教という大本と同じように世の中の立替え立て直しを中心とした宗教を起こそうと準備をされていた。そんなある日のこと、師が野原で寝ていると夢の中で弘法大師が現われて珠を出し、「これを弥勒菩薩にわたせ」と告げて渡された。そこでふっと目を覚ますと、その珠が頭の上に載っていたという。
この珠は、初め釈迦が奉持していたが、入滅の時、弟子の迦葉(かしょう)に「この珠を弥勒菩薩に渡せ」と命令されたので、迦葉が預かっていた。だが時期尚早であり弥勒菩薩は出生されず、珠はさらに弘法大師に渡されたという。この珠が右に述べたようにさらに丸山貫長師に渡ったのである。それが「如意宝珠」である。
子息の山本雨宝師によれば、
「父はその珠をどこへ行くのにも常に持って出かけ、後生大事にしていました。私は父がその珠をどこで手に入れたのか知らなかった。大きさは直径20㌢くらいで、少し模様のついたまん丸い玉でした。暗闇に置くとピカピカと光り、いつもは黒っぽかったです」ということだ。
この「如意宝珠」とは活殺自在の神宝で、世の中を自由自在にする神意のこもった宝玉である。丸山貫長師は歌う。
世を救う麻邇の御玉(まにのみたま=如意宝珠)は大和なる 高鋒山(たかほこやま=竜門岳)にあらはれにけり
末の世に宝をふらす麻邇の玉 今あらはるる高鉾の山
高鉾の峰に登れば雲はれて 朝日の中に富士を見るかな
この度の王仁師一行の竜門岳出修の目的は、この珠を受け取るためであった。出口日出麿師の「信仰覚書八巻」には、「(大正九年)五月六日、綾部を出発して翌七日、大先生(王仁師)その他の竜門山(岳)登山は実に重大なる使命を有するもののよし。いわゆる潮満玉を神界より与える神事なりしと(後略)」とある。
いよいよ竜門岳へ出発である。九十余名の随行者は開祖の旅立ちに神習い、ござ箕と竹の皮の笠を携帯すべきこととなった。以下「神霊界」大正九年五月二十一日号の「竜門岳特集号」の王仁師の作を一部紹介したい。
大(ひろ)く正しき九年の さつきの六日大本の 出口王仁を初めとし
浅野総裁副総裁 小牧会長副会長 其の他幹部の役員と
其の他幹部の役員と 東京阪の信徒等が 神の命を畏みて
大和の国は竜門の 神の聖地に向かう也 …(中略)
王仁師は七十九歳の貫長師と当時十八歳の雨宝師の前で「『世界の宝は丸山貫長にあづけてあるぞよ』との筆先がこのように大分以前に出ていたが、どこの誰やらわからなかった」とその書かれた筆先を示されたという。これは山本雨宝師の談である。さらに雨宝師の語るところによると「多勢の大本信者の、あたりを圧倒する長髪、和服姿を覚えています」という。世間では綾部の長髪族と悪口をいわれていた頃である。
村民も稀代の傑物、王仁三郎一行来村ということで大騒ぎ。朴訥な一警官も、この椿事に大いに狼狽する。「王仁三郎先生の側近をされていた中村純也(すみや)さんが、大蔵寺で大勢の村民などを前にして講演された」と雨宝師は六十年近く前のことをさらに思い出される。
王仁の一行丸山師 神戸の村に立向かふ 後に中村教監(純也氏)は
薬師の本堂に馳せ登り 集まる数多の参詣に 末法濁世の有様を
慧可の弁舌とうとうと 説き明かしたるま心を 感激せざるはなかりけり
中に一人の洋刀(=警官)が たちまち開く豆手帳 一々細々書き留める
いづれ本署へ報告の 手柄にせんず(=とす)心掛け
職務に熱き行動は 薬師大師も感ずらむ 演説了るやたちまちに
心の駒に鞭打ちて 客松山の自動車屋に 明日の乗車を約束し
霧雨そぼつ県道を 牧村さして帰り来る
木綿羽織を引っかけて 丸山老師の純也(すみや)まで
(前述の王仁師作「神霊界・竜門岳特集」より)
なお、中村純也氏は丸山貫長師が昇天された昭和二年以後、山本雨宝師に対して「あなたのお父さんはこのようなことも言われた」等々と手紙を送り続けられ、また貫長師の年祭も執行され、それは純也氏自身が昇天する昭和四十四年までつづいたという。
さて、「覚恩寺の方では十二畳の部屋の周囲の壁全部を使って、綾部から持参の王仁三郎先生の絵画・書を展覧された」と雨宝師は思い出される。
翌七日未明は大雨が降り続き、この日の登山が危ぶまれたが、王仁師は「雨は登山の前に必ずやむがな。竜神が歓迎のために来ているんやで、雨が降るのは当たり前や」と告げられたが、事実、師の言われた午前七時にはピタリと止んだという。この日王仁師は随行者全員ともども竜門岳に登られ、頂上の祠(祭神・高皇産霊神)の前で神事を行われた。
丸山貫長師はこの神業で王仁師と会われ、二日間の行動を共にされた結果、「あなたこそ弥勒菩薩の化身である」と看破されたのである。そこで当然、弘法大師より頼まれた「如意宝珠」の玉は王仁師の手に渡され、神命による神業の目的は達成されたのである。
仏説によれば、釈迦滅後五十六億七千万年後に兜率天から下生した弥勒菩薩が、三会の説法によって地上一切の生類を救済されると示されてある。大本では天地創造より五十六億七千万年の後に、「ミロクの世」が出現するとの旨が示されている。それが現代である。(次号に続く)”
(「人類愛善新聞」昭和52年7月号 『竜門岳と丸山貫長②』より)
(写真は、伊藤教純師(貫長師のお孫さん)のブログ『弥勒寺通信』」よりお借りしました。)