社会改革について  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・北一輝(右翼思想家)と大本の関係 (聞き手 出口和明氏)

 

出口「2・26事件に関連して、第二次大本事件の前夜、北一輝が聖師を尋ねてきたことは良く知られているわけです。実は大正八年くらいから北一輝と大本が関係していたと聞いたのですが、その点はいかがですか。」

 

大国「北一輝はあちこち歩き回っていた。それで大本へちょっと来たことがあった。」

 

出口「第一次事件の前ですか。」

 

大国「ええ、彼は自分の主張することに賛成してくれるところを捜し歩いていたみたいだった。ところが聖師は、自己中心的な考え方はいかん、という態度を北一輝に対してとられたものだから、『王仁三郎は何も知らん奴だ』と言ってましたね。北一輝が初めて大本へ来たのは、亀岡・天恩郷を買い、小さなバラックを建て第一回目の夏期講座が開かれたころです。」

 

出口「大正九年八月のころですね。」

 

大国「ええ、その時に大正日日新聞社を買収することが決まったのですが、その時に北一輝がちょこっと顔を出したのです。」

 

出口「エ、そうだったんですか。初めて聞きます。そして北一輝は何をしに天恩郷へ来たのですか。」

 

大国「北一輝は、大正日日新聞社の買収については反対のようで、『そんなことをして何になるか。それよりも東京へ出て組織を作ってやらなくちゃだめだ。』と言っていましたね。彼は日本を改造すると言っていろいろとパンフレットを作っていて、それを私たちに見せたんです。彼は『誰にも話してくれるな』と固く言っていた。そのパンフを見て思ったんですが、北一輝の思想の中に〝神″というものがない。私たちは神を信じていますが、彼にはそういう気持ちがない。日本は神国だから神をもってこなければ、日本の改造はできないというのが私たちの考え方。ところが彼は『神よりは人力のほうが大切だ』という考え方、世界的思想を持ったものでないとダメだということです。彼は『神を基本として国家を改造するというけれど、王仁三郎の考え方は田舎もので学問のない考え方だ』と聖師を批判しましたね。私たちはバカらしくなって、『私たちは王仁三郎先生についていく』といってあまり相手にしなかった。

 その後、彼は大正日日新聞を経営するときにも尋ねてきた。彼は『国家改造法案』というやつですが、それを聖師に見せに来た。ちょうど聖師は出ておられた時だったので、その旨を伝えたところ、『これを読め。そして王仁三郎が帰ってきたらこれを渡せ』といって二冊置いて行きました。

 

出口「大正日日新聞社の本社へ尋ねてきたのですか」

 

大国「ええ。そして聖師が講演から帰ってこられて『北一輝が来てこのような本を置いていきましたが』といって見せた。その本を読まれた聖師は『あの改造法案には〝神″がない。ものが足らん。神のもとに改造されなきゃダメだ。人間の意識で改造するなどもってのほかだ。』と言っておられた。その後北一輝は九州で警察に捕まってしまった。彼は警察で、『知っていることは全部大本へ言ってある』と言ったために警察が大本を調べに来た。そして『国家改造法案』のパンフを押収されました。

〈中略〉

 夕方遅くになって(警察から)解放された私は、大正日日新聞社の本社へ帰りました。その時聖師は『あんまり接したらいかんでよ。ワシも思うのだが、あの人の考え方には過激なところがある。要するに国家を根底から潰してしまう考えだ。そういうことを今言っていたら大変なことになるぞ。あれにあまり関係するなよ。』と言われた。…〈後略〉」

 

  (「いづとみづ」№98 『大国美都雄氏に聞く 聖師ご入獄中の教団の混乱』より)

 

 

・マザー・テレサ

 “社会の構造を変革することが神さまのお望みと思う人たちがいるなら、それはその人たちとその人たちの神さまとの間のことです。わたしたちは、たとえ何と言われようと、あの方に仕えなければなりません。わたしは、ひとりひとりの人に仕えるように、貧しいひとりひとりを愛するようにと召されています。組織にかかわるためではありません。判断を下すのは、わたしのすることではありません。”

 

     (「マザー・テレサの言葉 神さまへのおくりもの」女子パウロ会より)

 

 

・スワミ・ヴィヴェーカーナンダ

 「私は革命を信じない。私は成長を信じる」

 

 「私の理想は国民の成長、拡大、発展である。すべての健全な社会の変化は、内部で働いている霊的な力の現れであり、それらが強力であり、よく調整されるなら、社会はそれに応じて自ら整うであろう」

 

 「いわゆる社会改革に手を出すな。なぜなら先ず最初に霊的改革がなければ改革はあり得ないのだから」

 

       (「不滅の言葉 第34巻 第4号」日本ヴェーダーンタ協会より)

 

 

・ルドルフ・シュタイナー 〔シュタイナー教育(自由ヴァルドルフ教育)〕

 

 「社会問題を解決するためには、その本質的部分が教育問題であり、精神の問題であることを知らなければならない。」

 

 「自由ヴァルドルフ学校の誕生とその目的は、社会革新を目指したものである。」

 

 「現代に達成されなければならないことは、学校を自由な精神生活の領域の中にしっかりと位置付けることである。何が教えられ、何が育てられるべきかは、育ちゆく人間についての認識と、その人間の個別の素質への洞察からのみ引き出されるべきものである。教授法の基礎となるべきものは、真の意味での人間学である。そこで問われなければならないのは、『既成の社会秩序を維持するために、何を覚え、何を身につけなければならないか』ということではなくて、『この人間の中に何が素質として埋め込まれており、何が育てられ得るであろうか』ということでなければならない。このことが実現されれば、社会秩序を発展させるために、つねに新しい力が育ちゆく世代から社会に供給されることが可能となるであろう。」

 

 「それ(学校と社会組織の間に健康な関係の成り立つ条件)は、健全に成長した新しい個人が、絶えず社会に供給されるときである。これが可能となるのは、学校と教育制度とが社会の中で自己管理の基盤を得ているときにかぎられる。国家や経済界は、自立的な精神生活の手によって育てられた人間を受け入れなければならないが、彼らの教育過程に関して、自分たちの側からの要求を出すことは許されない。」

 

 「人智学はどの点をとってみても、世界をキリストの精神で満たそうとする努力である。・・・私たちはすべての学問をもキリストの精神で満たさなければならず、私たちの精神共同体の力によってつくり出していくすべてを、すべての知識を、すべての認識を、すべての生命を、キリストの精神で満たさねばならないのである。こうすることによってはじめて、人間の力と人間の努力と人間相互の愛を通して、ゴルゴダの秘蹟が本当の意味で実を結ぶのである。私たちはキリストのしるしをかかげて進むのである。」

 

 「大人たちを対象に説かれている人智学は、絶対にヴァルドルフ学校の中に入り込んでくることはない。これに反し人間が渇望するもの、すなわち神的なもの・・・自然の中に働く神性と人類史の中に顕現する神性・・・の把握は、きわめて重視される。これはゴルゴダの秘蹟に対して正しい姿勢をとることによってのみ可能となるのである。これこそ本当の意味で育ちゆく人間の中に注ぎ込まれるべきものであり、授業の中へこの姿勢を持ち込むことを、私たちは私たちの課題とみなすのである。・・・教師達が到達しなければならない境地は、すべての教育活動が教師個人にとって倫理的で宗教的な行動となり、授業をすることがいわば祈りの行為そのものとなることにある。・・・私たちはそれによって決して盲目的に理知主義的なキリスト教をつくり出そうと欲しているのではなく、人類発展史全体の中におけるキリスト衝動の意味を、正しく把握しようとしているのである。人間を媒体として教育し、総体として教育された人間を宗教的に深めること、これを私たちはヴァルドルフ原理のもっとも大切な課題の一つと考えてきたのである。」

 

      (ゲルハルト・ヴェーア「シュタイナー教育入門」人智学出版社より)