「列子」は支那の霊界物語 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・「列子」は支那の霊界物語

 

 “支那では列子はぜんぜん判っていない。全部霊界のことが書いてあるから、王仁は若い時には随分読んだものである。今は本がないから読めないけれど。列子は支那の霊界物語である。現界から見れば判らぬが霊界から見れば本当である。(此時色紙に三羽烏を書いて頂く)(霊界物語は皆日本の事以下 昭和二十一年三月二十二日 午前九時)”

 

 “桜井重雄氏が霊界物語口述の第一巻第二十四章 神世開基(ヨハ子)神息統合(キリスト)を筆録中、文中に、

 「要するにヨハネは神界、幽界の修理固成の神業には、月の精なる水を以てせられ、キリストは世界の改造にあたり、火すなはち霊をもつて神業に参加したまふのである。故にキリストは、かへつてヨハネの下駄を直すにも足らぬものである。」と口述されたので、聖書にはヨハネ伝にヨハネ答へて言ふ「即ち我が後に来たる者なり、我はその靴の紐を解くにも足らず」とあり全く反対になるから其理由をお伺いしたら、

 「そうしなければ立替になりやせんがな。大本は一切の立替をするところやがな」

とお答えになるので「それでは立て直しの時にはどうなるのですか」とお聞きしましたら、早速筆を取って右の物語の次に左の歌をしるされました。

 

 耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず

 耳も目も口鼻もきき手足きき 頭も腹もきくぞ八ツ耳( )     (大正十年十月二十一日)”

 

          (木庭次守編「新月のかけ」より)

 

 

・「列子」『老聃(老子)の道を得た亢倉子 ―― 耳目を用いずに視聴する者――』

 

 “陳の国の家老が使者となって魯の国に出かけて行き、個人的に叔孫氏と会った。叔孫氏が「わが魯の国には聖人がおられる」というと、使者の家老は「それは孔子ではありませんか」という。叔孫氏が「いかにも」とこたえると、「どうして孔子が聖人であるとわかるのですか」と彼はききかえす。すると叔孫氏はこたえた。

――わたくしはかつて顔回から聞いたことがあるのですが、孔子という人物は無心の境地で五体が動かせるとか。

 叔孫氏の言葉を聞いて陳の国の家老は言った。

――わが陳の国にも聖人がいます。ご存知ですか。

 叔孫氏が「聖人とは誰のことですか」とききかえすと、陳の国の家老はさらにこたえた。

――老聃の弟子に亢倉子という男がいて、老聃の道をものにしています。耳でものを視、目でものを聴くことができるのです。

 さて、その話を聞いた魯の殿様はたいへん驚き、上席の家老に命じてその男を鄭重に魯の国に招かせた。そして亢倉子が招きに応じてやってくると、魯の殿様は鄭重な言葉で事の真偽を問いただした。すると亢倉子は答えた。

――話を伝えた者がでたらめをいったのです。わたくしは耳目を使わずに視たり聴いたりすることはできますが、耳目のはたらきを取りかえることなどできません。

 魯の殿様が、「これはいよいよもって不思議だ。いったいどのようにするのだ。わたしはどうしてもそれが聞きたい」というと、亢倉子はさらに答えた。

――わたくしは、体は心とぴったり一つになり、心は「気」すなわち宇宙の元気と一つになり、気はさらに「神(しん)」すなわち造化の霊妙なはたらきと一つになり、神はさらに「無」すなわち道と一つになっています。したがって、ちょっとでも何かが存在し、わずかでも響きをたてれば、遠く世界の果ての出来事であろうと近く眼の前の出来事であろうと、わたくしにかかわりをもってくるものは、かならず察知します。とはいえ、それがわたくしの肉体的な感覚器官の知覚することなのか、心や腹などの内臓器官の知覚することなのかも一向に分からず、ただおのずから知るだけなのです。

 亢倉子の言葉を聞いて魯の国の殿様は、すっかり悦び、後日そのことを孔子に話したが、孔子は笑ってばかりいて何も言わなかった。”

 

         (「列子Ⅰ」平凡社 東洋文庫533より)