青少年の暴力について 〔シュタイナー教育〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・青少年の暴力について 〔シュタイナー教育〕

 

 “彼(ルドルフ・シュタイナー)は、1920年9月11日に行った講演の中で、子供の中にある「イメージでものを考える力(Bild-Denken)」を正しく展開させてやる必要のあることを強調した後で、発展させるべく天から与えられた諸々の能力を正しく伸ばしてやる事を怠ると、この力は正しく発揮されず、しかし萎みもせず、歪められた形で意志衝動の中へ蓄えられる、と述べている。その力はどうなるのか?自分が現在生きている社会に強い不満を持ちながら、その不満に正しい方向づけを与えることが出来ない人間となって、社会を内部から崩壊させる。「何かをしたいが、何をしたいのかわからない」若者たちがこうして育つのだが、彼らの多くが、目的のない破壊行為や、刹那の快楽を追う衝動的行為へと身を委ねてしまうのは、十分理由のあることである。シュタイナーは次の言葉で彼の警告を結んでいる。

 

 「天から与えられた力が、人間の心(Seele)の中に押し込められ、本来の姿ではなく、まったく反対の姿をとらされているからだ。社会秩序を破壊しながら、自分たちが良いことをしているのだと感じる人間が生じるのは当然のことで、今日、我われが気づかなければならぬ真実とは、こんなにも恐ろしいことなのである。」”  

 

    (新田義之、新田貴代「人智学を基盤とする治癒教育の実践」国土社より)

 

 

・宗教の果たす役割

 

 “・・・ところが生まれてきて、教育ママやパパがいまして、2、3歳くらいで英才教育をギンギンやります。その結果、そういった子供のファンタジーの能力を知的な方向へどんどん引っ張って行って、子供がイメージの中に浸っていられない状況が作られていきます。そうしますと、子供の中にあるイメージの力、すなわちファンタジーの力が反乱を起こすのです。要するに、自分の探しているものが地上にないと失望しますが、でも心の中にはファンタジーによって霊的世界のイメージを体験したいというエネルギーはあるのです。これが内部で反乱を起こし、暴力になるのです。ですから青少年の暴力の背景には、自分の中に生きている霊的なイメージが満たされていないという状況があるのです。

 そこで宗教の果たす役割は非常に大きくなります。本当の宗教は何かというと、先ほど言いましたように、思弁でも哲学でもなければ、神学でもありません。何かというと儀式なのです。儀式の世界で、色であるとか、言葉であるとか、動きであるとか、香りであるとか、味であるとか、つまり我々の地上的な感覚を通して霊的な世界を予感する、これが本当の宗教なのです。ですから宗教は徹頭徹尾感覚的でなくてはいけません。感覚で体験できるもの、見ることのできる神の世界、触ることのできる神の世界、聞くことのできる神の世界、それどころか食べることができ、飲むことができます。ワインとパンをいただくという聖体拝領ですね。そういった徹底的に感覚的な世界の中にイメージが凝縮していく。それが本当の宗教体験であるわけです。それで子供にとってもそうした宗教体験が猛烈に大事になります。このような背景で暴力の問題を考えて行かないと、本当の原因はわからないということなのです。”

 

   (小林直生(シュタイナー学校教師)「悪を救済するキリストの力」涼風書林より)

 

 

・暴力的な(胆汁質の)子供について  

 

 “子供は、地上における生命を受け取ってくれ、みちびいてくれる父親と母親のいる家族に属しながらも、ひとつの肉体に宿った、ひとつの独自な精神をもってまいります。子供の遺伝的な特徴は、環境から受ける刺激と互いに作用しあいます。

 気質とは、ひとが自分自身を「わたし」と呼ぶ、自己の精神的側面と、父親と母親があたえたものが出会う場所です。「精神」と「遺伝」という、ふたつの流れがまざりあって気質になるのです。”

 

 ・憂うつ質の子供・・・メランコリックな秋の子供は、人生の意味を知りたいと願っている。

 ・多血質の子供・・・風のようにかろやかな春の子供は、熱中するが忘れっぽく、陽気で社交的だが軽はずみ、憂うつ質の子供と対照的である。

 ・胆汁質の子供・・・情熱的な夏の子供たちは、威勢が良くて活動的。夏の子供は未来に関心をもち、秋の子供は過去に、春の子供は現在に関心を向ける。

 ・粘液質の子供・・・冬の子供は気楽さと、ひとつのことを続けることを好み、感情が穏やか。

 

 ‟子供を変えるのではなく、気質を高貴なものに高める、というのがわたしたちの考えです。”

 

 ”もしも胆汁質の子供の否定的な面がでると、他の気質の子供にもまして、たいへん困ったことになります。なぜなら胆汁質はすぐにカッとなって、破壊的になるからです。かれの怒りが爆発すると家族はふるえあがります。

 胆汁質の子供は、教師をいらつかせるトゲになる可能性があります。みなさんは胆汁質の子供を、どうあつかったらいいだろうと思い悩むことが多いでしょうし、「おまえはいま、ほんとうに罰せられるぞ!」とときどき考えることでしょう。

 しかし、胆汁質はつねに、たたかいを求めているので、かれの火に油を注がないことが肝心です。

 胆汁質に近づく道は、かれらの友だちになることです。もしもみなさんがハイキングに行こうとしていたり、演劇の上演を計画しているのでしたら、あなたの胆汁質くんたちをそばに呼んで言うのです、

 「わたしたちは、とっても挑戦的なことをやろうとしている。それはとてもむずかしいことだ。わたしには、はたして君たちがそれをうまくやりこなせるかどうか、わからないんだが。」

 どうぞおぼえておいてください、もしもそれがやさしいことでしたら、胆汁質たちは興味を失ってしまうでしょう。かれらに挑戦したあとに、みなさんはかれらの協力を求めることができます。・・・もうすっかり、その用意はできているはずです。もしも、みなさんの胆汁質たちを仲間にしなければ、みなさんは、私心なき指導者たちのかわりに暴君を、よき協力者のかわりに弱い者いじめの暴れん坊を手に入れることになります。”

 

         (ルネ・ケリードー「シュタイナー教育の創造性」小学館より)