・懺悔(ざんげ)について
“懺悔すれば罪が消えるというて、既成宗教では懺悔を以て、教の眼目としている。またニ燈園とか三燈園とかでは、懺悔の生活を標語としているようであるが、人前に懺悔する時は却って罪を造るものである。何となれば、人は神の分霊分身であるから、自分の恥を人の前に暴露するのは神を辱むるものであって、真の神様には喜ばれないのである。但し神様の前に懺悔することはよいが、牧師や僧侶や人の前で自分の非事非行を曝すということは最も慎むべきことである。
全て何事でも、流水の如く流れ去って日々に新たなものであるから、すでに過ぎ去った事をまた新たに現在に持ち出すことは、宇宙の真理に逆行するものである。況や信仰境涯にある人は、日々祓い給え清め給えというて、過去の罪悪は一切消えているのであるから、懺悔の要なきは勿論である。
また他人の非行旧悪を摘発非難してはならぬ。人はただ刹那刹那に最善を尽くしておればよいのである。取り越し苦労や過ぎ越し苦労がいけないのは此のためである。”
(「瑞祥新聞」昭和4年2月11日号より)