先祖供養 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・未信徒や他宗教の信徒の祖霊の祀りについて

 

富田 「仏教を信じていた人が亡くなりましたのをお祭り代えいたしますとどうなりますでせうか?」

 

出口氏「それは祀り代えてやると、地獄に堕ちている者でも、それで助かってくるのや、神は絶対の権威やし、絶対の愛やから、その血の通うた子孫がお祭り代えをやれば、その先祖が改心したと同じことになるのや。なぜというと、自分の昔の父母であり、又先祖は自分の昔の身体である。……自分の父は昔の自分の身体やさかい、その子孫が祈れば、地獄に堕ちていても許されるにきまっている。

 木にたとえて見たら、親が根本の幹で、それから枝が四方八方に出ている。同じ木の幹から出た枝だから、幹が太れば同じように枝もしげってゆく。先祖と子孫は同じ系統(すじ)やさかい、先祖がよくなれば子孫がよくなり、子孫がよくなれば先祖も同じように良くなるのや。」

 

      (「昭和青年」昭和7年5月号『出口王仁三郎を囲む座談会』より)

 

 

 

 “人の精霊や天人なるものは、霊界に在って絶えず智慧と証覚と善眞を了得して向上せむことをのみ望んで居るものです。故に現界にある子孫が最も善と眞とに透徹した宗教を信じて、その教に準拠して祭祀を行ってくれることを非常に歓喜するものである。天人と雖ももとは人間から向上したものだから、人間の祖先たる以上はたとえ天国に安住するとも、愛と眞との情動は内流的に連絡して居るものだから、子孫が証覚の最も優れた宗教に入り、その宗の儀式によって自分らを祭り慰めてくれることは天人及び精霊、又は地獄に堕ちた霊身にとっても最善の救いとなり歓喜となるものである。天国の天人も善と眞との向上を望んでいるのだから、現在地上人が最善と思惟する宗教を信じ、かつ又祖先の奉じていた宗教を止めて三五教(=大本教)に入信した所で別に祖霊に対して迷惑をかけるものでない。又祖霊が光明に向って進むのだから、決して迷うようなことは無いのだ。否却って祖霊はこれを歓喜し、天国に在って其の地位を高め得るものである。故に我々現身人は祖先に対して孝養のために最善と認めた宗教に信仰を進め、その教えに由って祖先の霊に満足を与え、子孫たるの務めを大切に遵守せなくてはならないのである。嗚呼、惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)。”

       (「霊界物語 第五十八巻 真善美愛 酉の巻」 『礼祭』より)