「月の輪台」 (瑞霊の神業の中心地) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “真言宗の開祖・弘法大師(空海)は生前、高野山の秘壷に「古川のほとりに一人の神人あらわる、月の輪、萩の山」と記して「みろく菩薩」の下生を予見し、後世に遺したとの言い伝えがある。昭和の初めに天恩郷に来苑した真言密教大僧正・山岡瑞円師は、萩の咲く「月の輪台」を拝して驚嘆。出口王仁三郎聖師こそ“みろくさま”と確信したという。

 この「月の輪台」は天恩郷において、聖師による最初でまた最後のご造営所。聖師は大正8年末、亀山城跡を入手、同14年「天恩郷」と命名、神苑建設の第一着手として月照山(船岡山)の整地にご専念になり「月の輪台」を築造。また第二次大本事件後も、破壊し尽くされた天恩郷の再建を「月の輪台」の石積みから始められた。昭和21年8月25日、石積みは完了。ところがその翌日から体調をくずされて1年あまりのご静養の末、昭和23年1月19日にご昇天。出口すみこ二代教主は同年正月の夢で、聖師居室から、大きな美しい月が「月の輪台」に移るところをご覧になっている。” (大本教学研鑽誌「まつのよ」 第八号)

 

 

 “聖師様は、宣伝使であっても、月の輪台にお参りしないような宣伝使は、神力はもらえんぞとおっしゃっております。神様の御守護はいただけないと。ですから、私たちは地方に宣教に出る時には、必ず月の輪台に参拝することが大切なのです。端的にいえば、霊界の移写として、神教宣布と瑞霊の神業の中心地である天恩郷の中心、至聖所は、神の活動の面からいえば、月の輪台であるといっても過言ではないと思います。” 

   (「愛善世界」第5号 徳重高嶺『神定聖地の意義』)