月曜日からnewsZEROのテーマ曲が米津玄師さんの
「ゆめうつつ」になりました
米津さんは年末頃、まだできていないとTwitterで呟いていました。
きっと更に磨きをかけてと最終段階で試行錯誤を繰り返していたのかな?…と思っていました。
米津さんは孤独という事を他人事ではなく感じていた時期があったのだそう。
過去に自閉症という診断もされたとも…。
自閉症=孤独という意味ではありませんが、そういう経験があるからこそ見えてくるもの、感じ取れる感覚、気持ち(想い)もあるでしょう。
歌詞のはじめの方で
どうせわたしも風になり消える ならば今夜くらいは
とあって、その後に
声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように
とか、
君が望むならその歌は 誰かの夢に繋がるだろう
という言葉が続きます。
誰しも免れ得ない死という現実。
孤独の最中、声に出して喜べなかったり、夢を持つことが難しいと感じている(だろう)人に向けてなんと優しく温かいのでしょう。
米津さん自身がかつてそうだった自分を知っているからこそ〜そして同じ想いをしているだろう人達がそこに留まらずに一歩踏み出せる様に〜優しく言葉を投げかけることができるのでしょう。
わたしは、幼児だった我が子が自閉症だと診断され、当時の主治医に
「発達障害は風邪が治るというような意味合いにおいては治りません」
と、本に書いてあった台詞の様な言い回しを使われた時、
深海の底の方に沈んでもう浮き上がれない程の暗闇と孤独がのしかかってきて辛かったという経験を今でも忘れられません。
先日、長崎で栗本先生と対談講座をされ、花風社から新刊も出された廣木道心さんは、お子さんが知的障害を伴う自閉症と診断されて、親亡き後の将来を案じ、福祉の社会に身を置いて我が子の行く末を身を以て体験する事で、良い道筋が立たられればという親心から「脱支援」がより良い方法でパニック等を防ぐ方法も啓発の一環として伝えている。という経歴をお持ちの方です。
南雲明彦さんは何年も辛い時期があり、不登校、入院経験(自ら望んで)を経て、学習障害・識字障害と診断されたという過去の辛い体験をテレビや講演を通して伝え、同じ様な経験をして苦しんでいる人達の支えになり啓発するお仕事をされています。
一見、何の脈略も無いようですが、共通していることがあって、辛かった〜或いは大変だった〜過去の自分の経験をそのままにしておかずに、伝える事で同じ様な立場や想いの人の孤独感や疎外感、絶望感などが減って欲しい(できれば無くなって欲しい)と願い、大丈夫だと伝える事で元気になれたり頑張る力が少しでも出てくれたら…、誰も決して四面楚歌などではなく、道も方法も色々な選択肢があるのだと…知って欲しいという気持ちがあるのです。
他方で、自分達の辛かった〜或いは辛い〜体験を啓発ではなく引き込みの道具の様に利用している人達も残念ながら存在して、
あたかも自分が辛かったのだからあなたも辛くて当然。
と言わんばかりの言動で封じ込めようとしています。
大変なのはみんな同じでどうしようもない事、
その中で何とかやっていくしかない。
と頑張っている人や頑張ろうとしている人の足を引っ張り、必要な最新の情報が行き渡るのを阻止し、
「同じ穴の狢」で居続ける様にと負の方向に誘導する人達。
自分達が大変で治らなかった〜或いは治すのを拒んでいる〜のに飽き足らず、他の人達も巻き込もう〜取り込もう〜とする行為がわたしには全く理解できません。
もしも、そういう立場になった時、どちらの人になりたいか?
選ぶのは勿論自由です。
だけど、わたしは自分の辛い(辛かった)あの時期を、
他のお母さん達が味わわなくて済むのならそれに越した事はない。
と思っています。
だから、このブログも始めたしTwitterでも伝えています。
情報を得て選ぶのはその人達の自由です。
だけれど
神経発達症だから治る。
という事を知らず(知らされず)、かつてのわたしの様に辛く悲しい時期を過ごすお母さんが今でもいるのであれば、
子どもは育つから大丈夫だと伝えたいのです。
今、孤独な気持ちに苛まれて辛く悲しいと思わざるを得ない育児を頑張れない。と思っているお母さんに届きます様に
元気になって一緒に凸凹育児を楽しめるお母さんが増えます様に
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
新しい一日が始まりました
今日も一緒に楽しみながら頑張りましょう