花風社社長の浅見淳子さんが立ち上げたサイト
「治そう!発達障害どっとこむ」には色々な部屋があってそれぞれに自由な投稿ができるのと、「治った自慢」の部屋では(お子さんが)治ったという嬉しい報告が後を絶ちません
その中には「みるさん」というわたしの長男長女と同世代の若い女性がいて、この方が意を決して東北で「栗本啓司先生のコンディショニング講座」を開催したい!と講座の企画をし賛同したたくさんの方々が其々にできる範囲で自主的に寄付をしました。
講座は無事成功し、余剰金ができて後数回は講座が開けそう。という結果になって良かったなぁ~~と思っています。
…でその余剰金についてとか、誰が管理しているか?とか、色々と勘ぐっている人達がいる様で、先ずその事に驚いたのですが、その後、浅見さんがみるさんに
その働きに見合った報酬を支払った。
という事にまで一々口を挟んで文句をつける人まで現れたのには閉口しました
これはプロジェクトに集まった寄付からではなく、浅見さんが花風社社長としてお支払いになったものですから誰もとやかく言う筋合いのお金ではありません。
わたし個人の考えとしては例え寄付金の中からプロジェクトに関わった人に日当が支払われたとしても、それに関して何の異議もありませんでした。
お金をプロジェクトの中でどう役立てて頂くか?はみるさんが相応しく管理されると思っているし、そこまでして頂かなくてもいいと思ったからです。
この一連について投稿した内容を浅見さんが取り上げてくれたのですが、どんな事を書いたかというと…
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労働には相応の報酬が生じて然るべき。
は社会では普通の事ですが、障害のある子を育てる親の会の様な所は「タダ働きが当たり前」になっているのですね。
何年も前の話ですが…
友人が地元の大きな「親の会」に入っていた時、講演会の準備に朝早くから駆り出され会場のトイレ掃除を含む雑用を割り当てられたという事がありました。
勿論、タダ働きです。
わたしもペアレント・メンターをしていた黒歴史がありますが、誰も何の疑問も持たず(持たせず)でした。
みるさんが講演会の企画・運営をして、賛同した人が自分たちの意思で自発的に寄付をしました。
その講座に参加した人達がラクになったらいいなぁ〜。という純粋な気持ちでした。他の皆さんもそうだと思います。
みるさんご自身がそういう想いで頑張って何日も(何時間も)割いて働いて成功裏に講座が終わって、余剰金があったので別の講座を開けることになった。
とっても素晴らしいですね。
そして、普通に考えてその働きに見合った報酬があってもいいんじゃないか?と考えるのは至極当然の事ですね。
みるさんはわたしから見たら娘と同世代の若者で、彼女の働きがあってのこのプロジェクトなのです。
浅見さんがそう考えられるのも当然でしょう。
それが幾らか?なんてどうでもいい事なのです。
少なくとも有効に使われている事が明らかだからです。
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常々感じていたのですが、
障害のある子の親(当人を含む場合もある)の時間を無償で拘束する。
というのはよく聞く話です。
親の方も日頃お世話になっている人(専門家、或いは団体・組織)からの招集だったりすると二つ返事で(喜んで)受けたりします。
それはあくまでも「お手伝い」で「わたし(なんか)でお役に立てるのなら…」という、親の気持ちを(悪意なく?)利用しているに過ぎないのかも知れません。
障害者の業界ではあるあるの話かも知れません。
だけど浅見さんは一般社会で働いている人なので「ただ働き」はおかしい。と思われて報酬を払った。
障害者や障害児の親はただ働きが当たり前。
になっている人には理解できなかったのでしょうか?
理由はどうであれ、そこに絡んできたり、口を挟んでくる事に「民度の低さ」を感じたのです。
わたしは「お里が知れる」と書きました。
みるさんにとってこれは仕事ではなかったけれど(まわり道の学校生活を送って来られたので)今は2度目の高校生という立場で学校の勉強やその他のカリキュラムもこなしながらの今回プロジェクトの責任者という大役を果たされました。
これはみるさんご自身が色々な凹を治したからこその成果です。
過去の体調や状況のままだったら到底できない事でした。
そういう意味においても治って(成功して)良かったです
以前はセルフエスティーム〜自己肯定感〜という言葉をよく見聞きしましたが、凸凹発達の人や凸凹育児をしている親の中にはそれを持たない人も少なくない様です。
親自身が自分の考えをしっかりと持って、地に足をつけて踏ん張ることができないとダメだなぁと改めて思いました。
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
今日も一日お疲れ様でした
明日も一緒に楽しみながら頑張りましょう
少し早いですが、おやすみなさい