治る、治らないにこだわる必要があるのか?
わたしがこのブログを始めたきっかけは、
疲れ果てていたかつてのわたしの様なお母さんが元気になって、前向きに凸凹育児を楽しめる様になって欲しいと思ったから。
子どもが一生治らない。と言われて平気な親はいないでしょう。
だけれど、多くのドクターは安易に「発達障害は治りません」と言いますね?
どれだけたくさんの親がその言葉に傷つき、
押しつぶされそうになり、
立ち上がる為に必死にもがいたり、疲れ果てているでしょうか?
何度も何度ももがき苦しんで何年もその最中にいるでしょうか?
「死」という選択肢すら頭に浮かんだという人をリアルに知っています。
幸い未遂で終わったものの、親子で死のうとした人も。
だから、わたしは(特に)そういう人に向けてこのブログを書いています。
かつてのわたしの様に
深い海の底にいる様な、
ドン底に突き落とされた様な、
真っ暗闇の奥底に放り出された様な、
まるで他の全てから孤立させられている様な孤独感。
もうずっとここから抜ける事ができない。
とすら思っていた辛い日々。
そう思う(思った)のは決してわたし一人ではないのです。
そして、きっかけはドクターからの
「治りません」という言葉だったのです。
治りません。ってその子(人)が実際に困っている大変な事が全部一生同じで全く変わらずにあるのでしょうか?
そんな筈はありませんね?
今は元気になったリアルの友達でもブロ友さんも、そして最近知り合ったツイッ友(で合っているかな?)さん達も、初めから大丈夫だった訳ではなく、それぞれが紆余曲折、波乱万丈、たくさんの修羅場を乗り越えてきているのです。
そんな中でわかった事は、お母さんが立ち直るきっかけの一つは、例え子どもが凸凹発達であったとしても、
(子どもは)育つから大丈夫。
という事。
もっと言えば、大人だって大丈夫なのです。
いつも引き合いに出しますが、藤家寛子さんも南雲明彦さんも大人になってから治っています。
だからこそ治ると伝えたいのです。
10年前にそれを知る事ができていたら、どれほど良かったでしょう。
あんなに辛く苦しく悲しいと思った事はありませんでしたから。
治ると知っていたら、可愛い筈の幼児期のアレコレ…
例えば、
グルグル回り続けた事。
ずっと跳んでいた事。
他にもたくさんありますが………。
にも理由があって自分で抜けを何とか埋めようと(無意識のうちに)、自己治療でやっている事だと思えたのに!
言うまでもなく、自傷・他害等はこの範疇ではありません。
例えば、リストカット、誰かを叩く(叩き続ける)、物を壊す事などは当然ですが見過ごせません。
(チョロちゃんはリストカットはしていません)
そして、どこかで書いたかも知れませんが、近々、知的障害に関する本が花風社から出るそうです。
子どもの頃に検査で出たI.Qの数値は固定ではない事だという位の知識は、わたしにもあります。
生活するのが大変だった幾つもの事が治ったので、チョロちゃんのできることも大丈夫になった事も増えました。
困った特性があり過ぎると、当然子どもも大変ですが、育てる親もそれなりに大変です。
だから、子どもが治ると親子で楽になれるのです
だから、わたしはこれからも治ると伝えていきます。