最近考えていることを綴るだけの雑記です。
カットマンはしんどいと言われますが、今年度(昨年度末ぐらい?)から攻撃練習をガチでちゃんとやり始めたところ、一生前後に振られる練習以外で考えると、攻撃練習もたいがいしんどいです。
というよりワンコースでのカット練習より肉体的に疲れない練習って、バックブロックぐらいちゃうかなと思います。
基本的に攻撃練習している方がしんどいです。
回り込み飛び付きとか、正気の沙汰ではないです。
これは攻撃の方がカットより習熟度が低いから…ということだけでは説明し切れないものがあります。
単純に同じ時間あたりで打つ回数が多いし一瞬で動かなアカンしで、明らかに攻撃はしんどいです。身体への負荷が段違いです。
両ハンドやったらしんどくないのかと言うとそうではなく、例えば相手のバックに集めて、
バックカット>相手F側にツッツキ>フォアドライブ>相手B側にブロック>バックカット…
と、両ハンド使う練習をするにしても、普通にめっちゃしんどいです。
練習をやればやるほど、攻撃型で安定して強いって極めて次元の高いことなんやなと思い知ります。
攻撃型は打球数が少なく済んでいいなぁと思うことも無くなってきました。
なるべく一発で決めたいタイプや「そこでそれかよ!」って打球をするタイプに当たるとちょっと嫌なんですが、それは試行回数が少なくなるために確率のブレが発生しやすく、一瞬で負けることもあるからですね。
ただ一方でそういうタイプは確率が上にも下にも極端に振れやすいので、戦績が安定しないという悩みを抱えることにもなります。
僕としては1試合あたりの試行回数をなるべく多く稼げるようにして、戦績が確率的に収束しやすくなるようしたいところです。(これは個人的な納得度・主観の問題)
そのためにも自分が受け手に回る際には、いわゆる「一発」を持っているプレイヤーの一発をより多く拾えるようにしていきたいなと思いますし、前段としてその一発を弱体化させる術を得たいですし、一方で逆に自分が何か仕掛ける際、ツッツキやバックカットと比べると試行回数が少なくなりやすいドライブ系技術も多く取り入れることになる以上、試行回数が減ったとしても尚安定するよう、ほぼ確実に入るボールの最低限の質(弾道・回転・打点)を底上げしていきたいなと思います。
いわゆる攻撃系技術はツッツキ・バックカットに比べるとまだまだ安定度が乏しいですし、大きく動いてから打つことになる場面が多いため、身体がブレてのミスもまだまだあります。前後動を伴った攻撃の難易度の高さをとても感じます。
【HP/MP】
さて、攻撃型的な練習をしまくって、そのしんどさを体感していると、同時にかなり実感しているのが、試合の結果や1点の積み上げに直結する、身体的な体力と心の体力の影響度合いです。
これらをHPとMPと呼称するとしましょう。RPG的にも間違いないはず。
技術的に難しいボール、許容度の狭いボールは、MPを多く消費します。
また、大きな動きを伴うものは、HPを多く消費します。
さらに大きく動きながら打球することは、それだけでも難易度が上がりますし、その中でも入れなければならないために細心の注意を重ねる必要があり、通常よりMPも多めに消費しやすいです。
カットマンの主力となるツッツキ・カットは、1球あたりのMP消費量はそこまで多くありません。相手のボール次第ですが、入れるだけならドライブより容易なことが多いです。(※フォアカットは圧倒的にドライブより難しいので例外。異論は認める)
その代わり、相手も返球するだけなら容易であるため、精神的圧をかけるために相手より常に多く入れ続ける必要があることと、相手はカットマンへのHP・MPの負荷両方を高めようと試行錯誤してきますから、結果として消費HP・MPは相手より多くなりがちです。
必然的に、HPで相手を上回る必要があることはさることながら、MPでも上回る必要があります。
カットマンは相手のHPとMPを削り勝つことが多いですが、そのためにはこちらも十分なMPを保持した上で頑張る必要があります。
各種の動きが鍛錬により省力化され、消費HP・MPともに一定水準まで下げることも可能ですが、同水準の相手と試合するなら、相手の省エネ度合いも同水準となっていますから、結局は試合で勝つのに必要なHP・MPの総量は相手よりデカくなります。
自分と相手とのHP・MPの総量差、使用する技術のHP・MP消費量のバランス差、回転の変化によって相手を状態異常に陥れること(相手のHP・MP消費量を通常時より引き上げる)、そうした諸々の搦め手を駆使して、相手のHP・MPを削り取って戦闘不能にして勝つのがカットマン。(そんなことしなくても勝てる試合は、レベル差が大きいだけ)
そう考えると、常にしんどい試合が多くなります。
勝つのはしんどいことです。
攻撃型でもしんどいんですから、カットマンは戦型特性とコンセプト的に言わずもがなです。
【希少な可処分時間】
しんどさの話を書き続けているのは、最近、練習試合であっさり負けてしまう時があることを顧みているからです。
もちろん普通に相手が強い時や、そもそもマジでしんどくて体力的に限界なんですよ…って時もあるんですが、そうでない時や、そうである時でももうちょい粘れたやろって時があります。
「これきっついなーしんどいなー」って思う時に、ただただもう1球か2球返せていただけで、相手の方が先に削られて●ぬなんてことはたくさんあります。
というかカットマンの得点パターンなんて突き詰めればほとんどがそれかも知れません。
普段なら頑張って5球返せているけど、3球しか返せていないから、相手が削られ切る前に元気なままで、自分がすぐ●んだってパターンで試合を終えると、練習試合とはいえ、試合後に「何してんやろう」と思います。
お小遣い制によって独身時より可処分所得が少ないのですが、それはまぁしゃーないとしまして。
可処分時間も少ないです。
これは卓球より家族を大事にする以上(とはいえ、一般家庭よりはだいぶ卓球にバランスが偏っている自覚はあります。。。😇)、致し方ないです。
その中で、いくらかある可処分時間を寄せ集めることができれば、今よりもっと卓球ができるのですが、10分程度の空き時間を寄せ集めて1時間や2時間のまとまった可処分時間にすることは、不可能です。
また、まとまった自由に使える時間があったとしても、その時間帯に練習できる相手、特に「こういう練習がしたい」を叶えられる相手を確保できるかどうかもハードルになります。
そういう諸々のハードルがあることを斟酌しながら、人生設計上、(使命感とかではなく、自由意志で)可処分時間の多くを卓球することに費やすと決めている以上、まとまった自由に使える時間をどう使うかを考えていると、
「自分のQOLに多大な影響を与える卓球自体が弱くなって自分のQOLが下がってしまうため、どうでもよい飲み会や集まりに敢えて時間を割いている場合ではない」
という気持ちになり、なんとか卓球で予定を埋められないかを考えがちです。
これ、明文化するといよいよ歪な価値観で拗らせてんなと思いますね。ヤバイですね。
ちょっと言葉が強いですが、一定程度はマジでそういう思想が働いて、自身の行動選択に繋がっているなと感じます。
最近は優先順位付けがかなり明確になってきました。
リスクリターンやメリットデメリットを考えて、あんまり得られるものの期待値が高くならなさそうだったら、大人しく家に帰って過ごそう、という判断になりがちです。
そうまでして卓球から得られるものは、もしかしたら本当に大したものでは無いのかも知れませんが、そうして時間を切り詰めて、練習でも自分を追い込んだ先に得られる愉悦は確実にありますから、既に「楽しくできりゃそれだけでいいや」とは思えない感じです。
せっかく時間を削ってやってんやから、その過程も大事やが、目に見える成果に繋げたい、少なくとも繋がる可能性が高まるような積み上げ方をしたい、と思うのは通常の感覚だと思います。
単に刹那的快楽を得るだけなら、「楽しい」と感じながら時間を消費できるコンテンツは卓球以外にもたくさんあるので、卓球でなくなんでもよいわけですが、卓球ぐらいの入れ込み具合で今から他に「楽しく」できるものに出会えそうかというとあまり無さそうです。
どうせ何かに乗り換えても、同じ水準で同じぐらいの入れ込み具合になって、同じようにしんどいなと感じるに決まっています。
家庭>卓球>>>>>>>>>>その他有象無象
ぐらいのバランスでいくと、現状の生活リズムでいかに心身を摩耗しない程度に切り詰められるか、は鍵になってきます。
【最近しんどい】
と、その上で…ですが、最近、卓球しんどいなと感じます。
おそらくかなり追い込む練習を自身に課していることと、もしかしたら年齢的なことも原因かも知れませんが、本来QOL上げるためにやってるはずが、一周まわってQOL下がってんちゃうかと思います。笑
そもそも何のためにやってるんでしたっけと思わずにはいられませんが、
きっと卓球に人生を捧げて選手としての卓球を引退されてきた先輩諸氏は、控えめにいって少なくとも僕の50万倍ぐらいの密度でやってるんでしょうから、この程度でしんどいと言っては卓球に失礼かも知れません。
僕なんかせいぜい週2~3程度の話ですからね。
ただこうやってしんどいと思ってしまい、その前の練習や日々の生活で疲れて、練習試合でも「ラリーまじでしんどい…」と心が折れてしまっている状態があり、そうして終えてしまった時には、「今の時間は自分にとっても相手にとっても無駄やったな、もうちょっと意味ある時間にできたはずやが、何やってんやろ」と思います。
しんどい中でやるからこそ、ガチ予選系の糧になるはずですが、こういうところで折れてしまっては何のために多くの時間を割いてるやら意味が分かりません。
オープン戦や練習試合は全てガチの予選系のための練習であり、ガチの予選系は相手もガチで来てしんどい試合になることを考えれば、ガチじゃない場面でもガチでやることに慣れていないといけません。
ライフステージの変化に伴い、可処分時間の価値がどんどん引き上がっています。
昨今の物価高を一笑に付すインフレっぷりです。
5年前の1時間と今の1時間の価値は、比較になりません。
無駄な時間を過ごすこともそれはそれで価値がありますし、やらんと精神が崩壊しますが、それは隙間時間にやるとして、卓球できる時間は、できる限り勿体ない時間を過ごさんようにしようと思う次第です。
まだまだ僕のレベル帯なら、少しの時間でも、効果のある練習は可能だということもよく分かってきました。
私生活はクズそのものなのに、現役の頃から卓球だけは毎日その日の練習メニューを考えて、ストイックにされていためっちゃ強い先輩が、「卓球がしんどくておもんなくなってきたら自分の中では良い傾向」と言っていましたが、ようやく10何年も経ってから、少しだけその片鱗に触れているかもしれない…と思って自分を鼓舞したいと思います。
自戒と自省でした。