安倍元首相銃撃事件について、初公判が行われた。
山上被告は起訴事実を認めており、ある意味、結論は出ている。
だから終わり、ではない。「私が殺しました」という事実だけではけっして済まない難しい問題があり、これは解決できる類のものではない。
読売新聞の社説に「旧統一教会の信者が多額の献金を行い、家族が困窮するという深刻な被害が明らかになった」との一文があった。
山上被告の場合、この「家族」に当たるわけで、世の中にはこういう「家族」がいっぱいいる。もちろん旧統一教会だけではなく、他の宗教でもたくさんいるに違いない。
この「家族」は確かに被害者だ。
だけど、信者は被害者とは言えない。だまされたにせよ洗脳されたにせよ、信じた結果として自分で献金したのだ。後でしまった、なぜあんなことをしてしまったんだろうと思うことはあるにしても、最初は自らの意思でお金を出したのだ。だから、本人は被害者とは言えない、と私は思う。
山上被告の母は、息子がこういうことを起こしてますます旧統一教会を信じる心が強くなった、と語ったと言う。
息子をここまで駆り立てた元凶を、さらに信ずるとはどういうことか!と怒る人々も多いだろうが、私はやっぱり「何を信じようと何を信じまいと個人の勝手だ」という気がぬぐえない。同時に、「そのせいで他人(←家族も含めた自分以外の人)を苦しめ、傷つける結果になる」ことは自明の理で、そのあたり、どう折り合いをつけていいのか自分としても答えが出ない。
(明日に続く)
人優先 自分優先 交わらず
鞠子