鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

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このままいくと、労働者が機械に似ていくだけではなしに、機械そのものになって行く、森本にはそうとしか考えられない。「人造人間」はこんな考えから出たのだろう。職工たちは「人造人間」の話をするとイヤがった。――誰が機械になりたいものか。労働者はみんな人間になりたがっているのだ。――

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小林多喜二の『工場細胞』の一節。

昭和初期に書かれたもので、製缶工場が舞台となっている。

今から見れば、当時の機械は、速度も遅く、音も大きく、製造効率の悪いちゃちなものだっただろうと思われる。それを動かすには、多くの人手が必要だったに違いない。

それでも、機械に振り回されることに危惧を抱いていた。

この森本が、今の工場を見たらどう思うだろうか。

工場だけではない。

何もかもが、「人手じゃない」ものに動かされている気がする。

 

100年前の製缶工場、機械に振り回されてた、なんて大袈裟な。

でもこれから100年後の人たちは、今の私たちを見て「AIに振り回されてた、なんて大袈裟な」と思うような世の中になっているんだろうな。

絶対確かめようがないけど。

 

 

 

 

 

 

人手しか できないものって あるだろか

鞠子

 

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