職場でオトコ後輩が、客様の会社で見たことを興奮してまくし立てた。
何とかというアプリかソフトに、その会社のいろんなデータを入れると、30分も経たないうちにびっくりするような会社紹介動画ができるのだそうだ。
その出来栄えが抜群だったらしく、オトコ後輩、興奮冷めやらない。
彼は、私がその手の話をあまりよく思わないことを知っている。だから、「ただ、入れるデータをしっかり考えて選ぶことが大前提なので、そうそう簡単な話ではない」といい、「だから、考えて精査する能力が不可欠だ」と付け加えた。
私は、その動画を実際に見たわけではないし、つくる過程も見ていない。
だから、彼の話だけで判断してはいけないが、それでもやっぱり、こういう話は、「すごい」と思う以前に危機感を覚える。
そうして作った動画に、何か意味があるのか、と。
彼は、考えて精査する能力が不可欠だ、と言ったが、その能力は、こういう方法で動画作成を繰り返しているうちに衰えていってしまう。
適当に放り込めばそれなりのものができる、となれば、考えて精査する能力が衰えるだけでなく、考えて精査するのが面倒くさくなる。
それは、長い歴史の中で、歩かなくなった、噛まなくなった、読まなくなった、書かなくなった、etc.etc.実証済みではないか。
なんかもう、ため息しか出ない。
時代の流れを止めることも、戻ることもできないが、正直、嫌になる。
そのうちに ヒトは寝ている だけになる
鞠子