経営者としての菊池寛 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

『文豪、社長になる』という本を読んでいる。

『父帰る』『恩讐の彼方に』、それから『真珠夫人』etc.etc.大ベストセラー作家なのに、『文藝春秋』を創設した経営者でもある菊池寛の一代記である。

『真珠夫人』もすごかったが、コロナ禍に読んだ『マスク』など、もう圧巻。今、読んでも全然面白い。

なのに、経営者であるというところが、また面白い。

 

『文豪、社長になる』の中には、当たり前だが、中に直木三十五とのかかわりが出てくる。

 

「寛は、酔った。これほど飲んだ日はなかった。自分がこの直木三十五という男を(流行児にした)

その自負が、何より旨い酒の肴だった」(本文より抜粋)

 

菊池寛の経営者としてのすごさは、こういうところにあるのだ、と思う。

 

私は仕事柄、まわりは経営者だらけだが、社長自身が「できる人」だと、社員を見ていて「いらつく人」が結構いる。

例えば、いくつもの店舗を持っていた美容師さんがいたのだが、「多店舗展開をすると決めたとき、二度とハサミを握らないと決意した」と聞き、それはかなりつらい決断だっただろうなと思ったものだ。

菊池寛自身「書ける人」なのだ。だが、直木三十五の成功をこう捉えられるところがすごいと思う。

 

いや、本心はそうでもなかったもしれない。

多少なりとも「嫉妬心」があったかもしれないな。

あるいは、「直木のような作品は、自分には書けない」という思いもあったかもしれないし。

 

ところで、芥川賞、直木賞は有名で、芥川龍之介は今もメジャーだが、直木三十五の作品は全然聞かない。

私自身、全く読んだことがない。

菊池寛が、これほどほれ込んだ作品を、読んでみない手はない。

さっそくアマゾンで読みやすそうな短編集を購入したが、カスタマーレビューも全然なく、逆に興味津々になってきた。

 

 

 

 

 

 

嫉妬とは 認めているのと 同じ意味

鞠子

 

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