我が職場にも、要約AIが導入されることになった。
シャレじゃないけど、ようやく、なのかもしれない。
乗り気なスタッフがいて、自分が担当する会議の議事録を、実験的に要約AIで作成して、スタッフ会議で提案してきた。
私も見た。
もちろん、変換ミスやら固有名詞の違いはある。うちの仕事だけで通用する言葉なんかは、間違っているものが多い。あるいは語尾の音声が紛らわしいと「でない」と言っているのに「である」と判断し、真逆の結論になってしまっているものもある。
乗り気スタッフに言わせれば、「だから、これを使ったとしても、そのままは使えないし、会議中にメモは取らなければなりません」、だけど「会議録を作る時間は圧倒的に短縮できます」。
確かに、見事にまとめてある。なるほどな、と思った。
思った。だけど、私は、それ以上に危惧をする。危機感のほうが大きい。
なぜならば、坂口安吾じゃないけれど、「人間は堕落する」からだ。
乗り気スタッフは「メモは必須」と言ったが、会議録はAIがつくるという前提で会議に出たら、メモを取るのもだんだんおろそかになる。
そのうち、どうせ録音しているんだからと聞くほうもおろそかになる。
最終的には、会議には出なくてもよいことになる。
さらに、AIがつくってきた議事録を校正する能力も徐々に衰え、間違いを見つけられなくなる。
それからもう一つ。
私たちの仕事において、短縮すべき時間は議事録作成ではないと思っているからだ。
その上、議事録作成を短縮し浮いた時間を有意義に使えるとは思えない。
現に、私がこの仕事をし始めたころは、「すべてがほぼ手書き」だったが、今や「すべてがほぼPC」となり、大幅に時間は削減できたはずだが、手書き当時より毎日何かに追われている感が強い。
…てなことを言ったところで、世の中の流れをもう引き戻すことはできない。
それよりなにより、私がこの仕事をするのもあとわずかであり、どうこう意見を言える立場にない。
危機感を抱かえたまま、黙って見ている。
その都度、新しいことを取り入れて何とか乗り越えていくんだろうと思う一方、堕落して最悪崩壊しても別にいいか、関係ないしと思い、逆にそれを望んでいたりする意地悪な気持ちもあったりする。
字が書ける 文を書けるが 身を助く
鞠子