「デジタル教科書の拡大」に対する読売新聞の主張 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

少し前、読売新聞に「デジタル教科書の拡大」という特集記事が1面まるまる載っていた。

有識者3名が、それぞれ意見を述べている。

 

その各見出しが、

〇東京大教授:酒井邦嘉氏「紙媒体 脳の働き活発化」

〇フィンランド教育相:アンデレス・アドレルクロイツ氏「読解力が低下 成績低迷」

〇国立情報学研究所教授:新井紀子氏「教師が培った指導法失う」

というように、見出しだけ見ただけで、「デジタル教科書は危険だ」という主張でまとめられていることが分かった。

 

私も、デジタル教科書は危ないと思う。

自分自身の仕事においても、書類や資料をパソコンの画面上では「見るだけ」。紙に出力しないと「読む」ことはできない。

だがそれも、私の年代あたりの人だけであり、若者は、普通に画面上で「読んでいる」ようで、一概に強制することはできないんだけど。

 

「読む」という能動的な動作には、「手で持つ」「手でページをめくる」「手で線を引く」「手で書き込みをする」という能動的な動作が不可欠だと確信している。

それらの動作すべてが、「積極的に」という要素も加味されて。

だがそれと同じことを、今の若者は画面上でできるんだろうなあとも思うが。

 

いずれにしても、読売新聞のこの特集記事内容は全面的に賛成なのだが、それ以前の問題として「同じ主張でまとめられている」ことが引っかかる。

アンデルス・アドレルクロイツ氏が、後半、「学校からデジタルを一切排除するつもりはない」旨も述べているが、やはり主たる主張は「デジタル教科書・危険」。

 

デジタル教科書の拡大、賛成派の意見もぜひ載せてほしい。私としては賛成派の意見も聞きたい。読売側の主張はわかるが、載せるべきだと思う。

この件だけではない。

デジタルに関する読売新聞の主張は一貫している。同感だと思うところが随所にある。でも、「だからいい」とは思わない。ぜひ、その主張に相対する主張も同等に掲載し、読者に考える視点を提示してほしいと思う。

 

 

P.S. アンデルス・アドレルクロイツ氏が、「情報があふれる世の中では、退屈に耐える力も必要だ」と述べていた。

わかる、これ。めっちゃ、わかる。自分自身を振り返っても、本当にその通りだと思う。だが、今となっては、退屈に耐える力をつけるには、相当な覚悟が必要だ。それでも意識してこの力をつけないと、人はどんどんデジタルに侵食されてダメになる気がする。かつてはこんな力、みんな普通に持っていたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

教科書の 写真に落書き それも学

鞠子

 

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