スイミングクラブの更衣室で、Yさんと二人きりになった。
最初、クラブの運営についてささいな文句を言っていたのだが、話が進むうちに、Yさんがスイミングトモ・Oさんの言動について、いわゆる「悪口」を言い始めた。
正直、驚いた。そして、胸がざわざわした。
私とYさんは、それこそ時の挨拶をする程度。というよりむしろ、私はYさんが基本的に苦手なのである。
これまで何か、嫌な思いをしたとかいうわけではない。単純な好き嫌いだと思う。だがしかし、できれば彼女とは「クラブで顔を合わせたくない」と思ってしまうほどの相手なのだ。
なのに、私に向かってOさんを悪く言う。だから驚いた。
家に帰ってからも、Yさんがなぜ私にOさんのことを言ったのか、ずっと引っかかっていた。
考えてみれば、悪口とか批判といった「負な事柄」を人に話すとき、意識せずとも話す方には「相手が同調してくれる」という前提がある。
私自身は間違いなくそうだ。
Yさんは、私が同調すると思ったのだろうか。私がOさんにしゃべらない(つまり告げ口しない)と信じていたのだろうか。あるいは、しゃべられても構わないと思ったのだろうか。
いや、それほど私を信頼していないはずだ。
胸がざわざわしたのはなぜか。
そのとき聞いたOさんの言動。
Yさんは怒っていたが、私にとっては怒るほどのことではなかったからだ。
正確に言うと、Oさんの言動はOさんならではだと思ったし、反面、Yさんの怒りも理解できたから。
つまり、私にとってはどっちもどっちだったのだ、
だから、ただでさえ苦手なYさんに対し、その話をどんな顔で聞けばいいのか、どう返答すればいいのか、全く分からなかったのだ。
それに、どんな態度を取ったところで、「鞠子さんも同調した」ととらえられそうで、それもすごく嫌だと思ったのだ。
もちろん、このとき聞いたことは決して口外しないが、仮にYさんが私以外の人にも話し、そこから話が広がったら、私もスピーカー容疑者の一人になってしまう。
それも嫌だ。
そんなこんな、もろもろ考えつつ、私はますますYさんに対する苦手意識が強くなってしまった。
いい話 聞くときだけは 耳拡ぐ
鞠子