惹句に魅かれて、永井荷風『つゆのあとさき』を購入した。
新潮文庫の正式な題は『つゆのあとさき・カッフェータ話』という。
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女給の君江は午後三時からその日は銀座通のカッフェーへ出ればよいので、市ヶ谷本村町の貸間からぶらぶら堀端を歩み見附外から乗った乗合自動車を日比谷で下りた。そして鉄道線路のガードを前にして、場末の町へでも行ったような飲食店の旗ばかりが目につく横丁へ曲り、貸事務所の硝子窓に周易判断金亀堂という金文字を掲げた売ト者をたずねた。
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これが『つゆの……』の冒頭。
もう、もうゾクゾクした。
別に、どうということはない文章と言えば文章だし、一体何にソソられるのか。
あえて言うなら、この場面が、嫌でも頭に浮かんでしまうことか。
日比谷の雰囲気、貸事務所、硝子窓、金亀堂、そして君江の姿……。
こうしていきなり異様に引きずり込まれる文章がある。
今までで一番記憶が鮮明なのは、谷崎潤一郎の『刺青』。
自分でもうまく説明できない。理屈じゃなくって、もう完全に感覚。
こういう文章を書く作家は、書く前提として奥底知れぬほどの深いものがあるのだと思う。さっき、「どうということはない文章」と言ったが、どうということはない文章と思わせて引きずり込む。
今までに読んだ永井荷風の作品もそうだし、この『つゆの…』もそうなんだけど、たんたんとした書きぶりゆえ、ますます翻弄される。
ある意味悪魔。
そういえば、志賀直哉の『暗夜行路』ものっけからゾクゾクした。
こちらは、表現というより、冒頭の設定がすごかったのである。
何かある、きっとある、絶対ある、間違いなくある……そんなにおいが溢れかえっていた。
ああ、なんか久しぶりに読書沼。
五十音 漢字 カタカナ 色三昧
鞠子