手紙をもらう側だったら | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

80代の女性が、御主人が亡くなったことを御主人の友人や知人に手紙で知らせたのだそうだ。

その宛先150人。

御主人の在りし日のエピソードや励ましの言葉などがつづられた返事の手紙がたくさん来、彼女はとてもうれしかった。これからも、心の支えになってくれるだろうと言っていた。

 

意地悪な私は、これを素直に美談とは捉えられなかった。

もらった側はどう思っただろう。

私がこの手紙を受け取った人だったらどうか。正直、とても気が重いのではないかと思うのだ。

 

友人、知人といってもどういう間柄かは全く分からない。

この御主人がどんな仕事をしていた人かにもよるとは思う。

だが、150人全員が、この御主人の近況を知っていたとは思えない。中には、この手紙で突然逝去を知った人、もう何十年もあってない人もいたのではないだろうか。

 

私は、母が亡くなったとき、親戚に伝える気はゼロだった。

仕事関係も、最低限の人だけにした。

親戚とはもはや付き合いがなかったし、仕事がらみの人は母のことなど全く知らない人ばかり。だからこそ、そういう人たちの気遣いも、もっといったら出費もしてほしくなかった。

私自身、葬儀も要らないし、死んだら誰かには迷惑をかけてしまうが、できるだけムダは省いてほっといてほしいと思う。

でも、これは私の価値観であり、むしろ私のほうがヘンなのかもな、とも思う。

 

くだんの女性は150通の手紙を出したことで、心が癒されたわけで、何の異論もない。

ただ、私だったら知らせてほしくなかったと思うに違いない。

 

 

 

 

 

 

ひっそりと 土に還れば それでいい

鞠子

 

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