60歳を記念して(?)、職場の健康診断の際、自腹で豪華版診断にグレードアップしたのが約半年前。
そうしてグレードアップした血液検査の1項目が引っかかり、かかりつけ医に「3月に再検査」を言い渡されていた。
さあ、半年ぶりの血液採取。
私は、ゴムで圧迫されると血管がしっかり浮き出る人で、採血する看護師さんの手を煩わせたことは一度もない。
それでも私は、注射というものが怖くてたまらない。
血管が出ない人、どんなにか大変だろうと心から同情する。
私は昔から、「針」がダメだった。
例えば針山に刺さっている待ち針や縫い針を見るだけで、なぜか足の膝にこいつがグググっと刺さるところを想像して背筋が寒くなる。
海外ドラマ『クリミナルマインド』で、糸で壁と両手の表皮を縫われ、つながれているという残酷なシーンを見てしまい、少しでも体を動かしたら激痛が走るに違いなく、そんな想像をして今もゾッとする。
思い出したくないのに、つい思い出してしまうこのシーン。こんな目に遭うなら、死んでしまいたい。
コロナ禍以降、皮肉なことにほとんど風邪をひかず、ノド痛にも悩まされず、結果、注射や服薬の機会がめっきり減った。
そうなったら逆に、注射への恐怖が増した。
一方で、歯科に通う回数は変わらず、むしろ増え、かつてほど歯科治療への怖さがなくなったのは「慣れたから」に違いない。
そう、「慣れ」だよ、「慣れ」。
苦痛を伴う治療行為というのは、「慣れ」というのもバカにできないのだ。
私は服薬も、注射も、できればしたくない。可能な限り、逃げおおせたい。だけど、それでは慣れやしない。
つまり、ときどきは病気しないと、精神的にもひ弱になる一方だ。
…なモロモロを、左腕を出しつつ考えた。
そんなことでも考えて気をそらしていないと、怖くていられない。
もちろん、採血の間は完全に顔を背け、かつガンガンに目を閉じていた。
いつもの如く、優等生な私の血管は簡単に針を受け入れ、あっという間に血液を吸い取られていた
光る針 いつか慣れる日 来るだろか
鞠子