某トモの親さんが、とうとう施設に入所したという話を聞いた。
トモは、シングル介護で四苦八苦していた。話を聞くたび、家での介護はもう限界なんじゃないかと思ったが、当の親さんが「施設は絶対嫌だ」と言い張るため、在宅介護が結構長期間に及んでいた。
施設に入ったからといって心身ともに解放されるわけでないことは私も体験済みだが、トモの言う通り「離れて暮らすようになって、お互い相手を思いやれるようになった」もまた真実。彼女の話を聞きながら、私自身、かつての介護生活をいろいろ思い出した。
ただ、現実的に、きれいごとばかりも言っていられない。
施設入所となると、お金がかかる。
トモから施設名を聞いたとき、その懸念も真っ先に頭に浮かんだ。
トモ曰く「月25万円はかかる」。
…だろうなあ、あそこなら。
ただし、親さんの年齢から考えると、親さん自身の持ち金で何とかなる、とも言っていた。
それならいいんだけど。
ちょっと前、老後は2,000万必要だと巷で騒がれた。
トモ家のような施設に入ろうと思うと、
20,000,000円÷250,000円=80か月
80か月÷12か月=6.6年
つまり、持ち金2,000万では6年半くらいしかもたないことになる。
今、100歳まで生きることは十分すぎるほどあり得るので、ということは「93歳ぐらいの時点で2,000万持っていないとだめだ」ということではないか。
じゃあ、93歳までどうするのか。「とにかく、できる限り持ち金に手をつけない生き方をし、何とかして93歳の段階で2,000万円キープする」くらいしか思いつかない。
ということは、結局、定年だ年金だとわめいているヒマなどなく、働き続けなければならない。
あるいは、もっと安い施設に入る、とか。
だけど、これから高齢化は進む一方なわけで、そもそも施設を担う「人」がいなくなる。
となると、月々25万は安いランクになってしまう可能性が高い。
だから、
老後2,000万では決して十分じゃないのだ。
もちろん、なければないで、「ある分で賄える老後」を送るしかないのだが。
彼女の話を聞きながら、やっぱり、無駄に長生きはしたくないとますます思い始めた。
息をする 深く息する 生きている
鞠子