第170回芥川賞に決まった九段理恵さんが、作品に生成AIを使ったと発言した。
その量は、全体の5%くらいなのだそうだ。
創作に生成AIを使う。
こんなこと、遅かれ早かれ出てくるだろうなと思っていた。
既に、巷に出回っている小説等の中にも、生成AIでつくられた部分が混ざっているものがかなりの割合であるのではないか。
これは、もう止められない。
どんどん加速化する。
すればいいと思う。
だから、新しい作品を何となく読む気がしない私みたいな層も一定数、いるはずだから。
生成AIのせいばかりだとは言えないが、文豪と言われる作家や、ワープロもパソコンもなく、どんな長編であろうと手で書いていた(手で書くしかなかった)時代の作家の作品は、言葉が重厚でコクがある。
何度読みかえしても新たな発見があるし、そもそも何度も読み返そうという気になる。
生成AIが書いたものに、そんな力があるのだろうか。
興味はあるが、読んで確認しようとは思わない。
そんな時間があったら、他に読まねばならない古い作家の作品がヤマとある。
いずれにしても、生成AIの書いた文は生成AIが書いたもので、その作家が書いた文ではない。
たとえそれが5%でも、その5%は「他人が書いたもの」なのだ。
書き手が「人」じゃなく、「生成AI」であるだけで。
それを分かった上で、作品を楽しめばいいだけのこと。
で、くどいようだが、私は読みたいとは思わない。
読んでいる時間がおしい。
てにおはの 「て」も「に」も人が 生きている
鞠子