母の納骨堂には毎週行ってお参りしているので、お盆だからといって何も変わらない。
変わるのは、普段、まず誰にも会わない納骨堂に、この時期はたくさん人がいることだ。
今日も2家族、10人ほどいらしった。
母の納骨堂で手を合わせてから御骨仏様に手を合わせようと向かったら、お寺の管理をしているスタッフのおばさんと出会った。
いつも会う、顔見知りのおばさん。
時の挨拶をし、台風来るかなあなどと世間話をしている間、おばさんは、なぜか線香立てから線香を1本ずつ抜き取り、火を消していた。
そしておばさん曰く「お盆中は大勢お参りにいらしって、みんな線香をつけるから、煙が立って仕方がない。お寺の壁が煙で汚れてしまう」
…ってさあ、ざっと100人以上、入れるような建物なんだよ。
歌ったらさぞ響くだろうなと思えるほど、天井も高いんだよ。
たしかに、普段は1本か2本の線香しか立っていないが、よしんば100本立ってたからって、大勢に影響はない気がする。
今日、私の目の前で消された線香は、おそらくさっき見た10人ほどの人が立てたばかりのものだ。
その人たちが帰るやいなや、おばさんは火を消した。
そうか。たまに短い線香が箱に入っているが、こうして消したものを取っておいて、同じ長さに切りそろえて再利用しているに違いない。
SDGsからしても、お寺の経費削減からしても、それは間違ってないかもしれないけど、お墓にお参りした人々の心はどうなんだろう。
いつもは私も線香を1本立てるんだけど、この場に遭遇して、さすがにそうする勇気はなかった。
なんだかなあ、私は興ざめしたよ。
母ならば タバコにしてよと 言いそうな
鞠子