本日の映画鑑賞は『海と毒薬』
昭和61年発表のモノクロ作品だ。
原作となった遠藤周作の文庫本が、我が家にある。
本の裏のある短い解説に書かれた「米軍捕虜に対する生体解剖」に衝撃を受け、買ったのだと思う。
だが、内容は全然覚えていなかった。
前半、教授同士の「昇進・権力争い」が描かれる。
お決まりのように、その争いはなかなか醜い。
敵より抜きんでるために手術を急ぎ、医療ミスもどきで患者を死なせてしまう。そして、「昇進・権力争い」のために、その手術中の死を隠ぺいする。
この術中死によるマイナスをカバーするために、軍部と癒着し「米軍捕虜の生体解剖」という鬼畜の道に入り込むわけで、筋としては通るのだが、私は術中死のインパクトが大すぎて(←映像的にも、めちゃめちゃ生々しい。モノクロでよかった)、焦点がぼやけてしまった気がする。
医学部の研究生、勝呂(奥田瑛二さん)と戸田も(渡辺謙さん)術中死、生体解剖に関わる。
勝呂は精神的にもはや限界に来ているが、戸田はむしろ、何も感じない自分に怖さを感じている。
そもそも太平洋戦争の真っただ中であり、病人も医師も看護婦も、空襲警報が鳴ったら「みんな逃げる」のである。治療中であろうと手術中であろうと寝たきりであろうと容赦ない。
だから、今、この瞬間、全員平等に命が危ない。
···と考えたら、術中死だって生体解剖だって、同じじゃないか、生きようと頑張ったって大差ない、もうどうだっていいじゃないの、と思えてしまう。
戦争というベースがある限り、もはや何をどうしたって「意味がない」のだ。
···観ているうちに、知らず知らず自分がそんな「なげやりな気持ち」になっているのが恐ろしい。
私的には、リアルな手術場面より、登場人物の内面をもっと深くえぐる演出をしてほしかった。
特に象徴的な勝呂と戸田。
勝呂がなぜ患者の一人である老女(←彼女も、手術という名目で実験台にされる予定だった)を特に気にかけたのか、断ることもできた生体解剖になぜ加わったのか、戸田の心が氷みたくな理由は何なのか。
私の理解力が足らないのかもしれないが、そのあたりがなんとも不足だった。
…ということで、ちょっぴり期待はずれだった。
…ただ、奥田瑛二さんも渡辺謙さんも若かった。
特に渡辺謙さん、これほどイケメンだったとは。
戦争の バカさ加減を つくづくと
鞠子