角田光代さんが書いた「趣味の嗜好が変わった」旨のエッセイを読んだ。
料理が好きだったのに、コロナ禍となり、1日に3度、料理をすることが「義務」となったことで「好きじゃなくなった」という。
この気持ちの変化、すっごくよくわかる。
と同時に、私は、コロナ禍になったため嗜好が変わった原因が他にもある。
昨日、知人から「シルバーウィークに東京・横浜に行き、『トスカ』と『椿姫』を観&聴く」と聞かされた。
この方は、おおよそ音楽とは縁のなさそうな方で、そのことを本人も十分自覚しており、友人に話すと「え?あなたがオペラ?」と怪訝な顔をされるのだそうだ。
それが嫌だから、他言しない。
でも私が「それ系のものが好き」と知って以来、演奏会に行くたび教えてくれるようになった。
「音楽も言葉もよくわかんないんだけど、ナマの舞台を観&聴いているだけで幸せな気持ちになる」という彼女の本音は聞いていて私も気持ちがいい。
だがしかし、コロナ禍前の私なら、その一方で「いいなあ、うらやましい」という羨望の気持ちが絶対あった。
それが今はない。
むしろ、往復の新幹線も東京や横浜という人ごみも怖くて仕方がない。
歌も同じ。
あれだけ一生懸命練習し、歌っていたのに、いまだ怖くて合唱団にも参加できずにいる。
3年間の間に「歌いたいけど行けない」じゃなくて「もう歌わなくてもいいか」に変わってしまった。
角田さんは「義務化したから好きじゃなくなった」だが、私は「コロナが怖いから好きじゃなくなった」。
その根底にあるのは、「心身ともに苦しい思い・痛い思いは絶対したくない」という苦痛断固拒否の「信念」…って要するに、極度のチキンであるということが原発巣に過ぎない。
観れば観た 聴けば聴いたで 楽しいが
鞠子