善光寺のびんずる尊者像が盗まれた事件、あったでしょう。

無事、無傷で見つかって戻ってき、よかったといえばよかったんだけど。

 

犯人さんは「びんずるがいると地震や事件が起きる」と言っている。

ということは、裏を返せばびんずる尊者像には「威力があると信じている」ということだ。

 

信心深い人に激怒されそうだが、びんずる尊者像を含めお寺や神社に祀られているものは、「モノ」と言えば「モノ」でしょう。それも、誰かが作ったものがほとんど。

その威力を信じ、手を合わせたりなでたりしているうちに、単なる「モノ」じゃなくなっていった。

 

かく言う私も金づちなんか渡されて、「びんずる尊者像を壊してみろ」と言われたって絶対できない。

無宗教だと得意げに言っているくせに神社で手を合わせ、納骨堂で手を合わせている。

 

白布で完全に包まれたびんずる尊者像が車からおろされるのを見て、ふと思った。

恨みを抱く人間がまる1日一緒にいたびんずるさんは、それ以前のびんずるさんと同じだろうか。なでれば病気をいやしてくれるのだろうか。

…なんて考えることすらもう、「モノ」だったはずのびんずる尊者像を「モノではない」と認識している証拠だ。

めっちゃ矛盾しているが、この件に関してはずっと矛盾を抱えたままでいくんだろうな、と思う。

 

 

 

 

 

 

物々に 宿ったイノチが 見える朝

鞠子

 

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