(1)何十年かぶりに見た気がする
今日の朝刊、三面記事の下方にあったこの一文にドキリとした
「友田さん 連絡待っています たか子」
こういう新聞広告(←たか子さんがお金を出して掲載してもらっている、という意味で広告)、かつてはよくあった。
だがしかし、今や、新聞購読者は激減だろうし、連絡手段は電信系が当たり前。
我が家は2紙、新聞を取っているが、これが載っていたのは1紙だけだった。
つまり、友田さんがこの新聞を読む可能性が高いと踏んでのことだろうと思う。
それにしても、新聞にこの手の呼びかけを載せても効果は期待できないように思う。
友田さんがなぜ音信不通になったのかわからないが、何か事情があるのは間違いなさそうだ。だったらなおのこと、新聞を読む余裕はないのではないかと思うのだが。
もしかしたら、推理小説みたくな犯罪がらみなのか?
ちなみに「友田」も「たか子」も、新聞に載っていた名前ではありません。
実際は、全然違う名前です。念のため、偽名にしました。
(2)最終講義での言葉
大学を定年退職する医学系の学部の教授が、最終講義で語ったご自身の哲学にドキリとした。
「安易に手術をしない。手術でなければどうしようもない場合には、難しくともやり遂げる。ニュートラルでぶれない適応を守る」
専門は脳神経外科。こういう系列の先生は、キャリアを積むために、手術の回数を増やしたいばっかりかと思っていた。
昔、医学の道に進んだ友人が「今いる病院は手術の回数が少ないから、向こうの病院に変わりたい」と別の大病院の名前を言うのを聞いたことがある。
そういうものだと思っていた。実際、数多くの現場をこなさないと、力はつかないのでは、と思う。
だが一方で確かに、「安易に手術をしない」というのも真理だ。
「ニュートラルでぶれない適応」というのも、非常に奥深い言葉だと、なかなかドキリとした。
(3)浪曲とコイ盗み
『はだしのゲン』が教材から削除されたその理由は「浪曲は現代の児童の生活実態に合わないから」と「コイ盗みは誤解を与える恐れがあるから」
なんだか全く説得力のない理由に思えるのだが。
確かにほとんどの子どもたちは浪曲を知らないだろう。
でも、知っていることより浪曲ってなんだろうと思うことの方が、うんと大切ではないか。
コイを盗むに至った気持ちを思うこともしかり。
こんな理由を並べだしたら、文豪と言われる作家の作品など、一つも読めなくなってしまう。
あの『走れメロス』だって『ごんぎつね』だって、完全にアウトではないか。
教育委員会の出した回答がこれだということに、ドキリとせずにはいられない。
大丈夫か、この国の教育。
憂うのも 平和だからと 思う午後
鞠子