今日、元プロ野球選手の村田兆治さんが火事で亡くなった。
ついこの前も、ザ・ドリフターズの仲本工事さんが交通事故で亡くなったばかり。
上り詰めた人の、上り詰めた後の心情を思うと、つい疑ってしまう。
お二方とも、その事故は不慮だったのか、あるいはなんらか意図があったのか、本当のところはわからないが、後者のような理由がゼロとは思えない、と。
山下八洲夫さんの場合、議員でなくなったのに新幹線のグリーン車が使える無料パスを返さず使い続けていた。
だが本心は、グリーン車に「無料で乗りたかった」のではなく、「国会議員しか持たないパスを出し、フリーで改札を通る優越感を味わい続けたかった」のではないだろうか。
そのために、取り返しのつかない傷を自らつけてしまった。
上り詰めた後は、下るしかない。
そのとき、どんなに苦しいだろうか。
こんなはふうに衰えるはずがない、こんなふうになるはずじゃない、なぜみんな、忘れていくのか、俺はここにいる、俺を誰だと思っているんだ …… こういういらだちや焦りは、上り詰めた人ほど激しいはずだ。
そういえば村田さんに至っては、少し前にあった暴行事件も、「上り詰めたあとのその心情」が大元にあったのではないだろうか。
結局、上り詰めない方が、そしていつまでも上をめざしている方が幸せだ、ということだ。
踊り場で 足踏みするのも つらいけど
鞠子