『サバカン』という映画を観た。
泣けた。
だがしかし、泣ける自分がなんか嫌だった。
1980年代、小学校5年生の男の子、久田君と竹本君2人の、いわゆる「ひと夏の経験」物語。
舞台は長崎。
彼らは、貧困・家庭・性・イジメ・暴力・友情・冒険・出会い・別れと「人生の縮小版」みたいな濃密なひと夏を過す。
どれもヒリヒリ、チクチクと心に刺さるのだが、刺さりながらもたえず「いかにも映画的につくられた出来事じゃん」と思ってしまう冷めた自分もいて、泣ける自分があまりにも平凡に思えた。
「イルカを見るために海に行き、ブーメラン島に渡る」冒険シーンは、なかなか強烈。
早朝、親に内緒で出かけるのだが、久田君の父に見つかってしまう。
父は、どこに行くのか、何をしに行くのか一切聞かず、むしろ手助けして送り出す。
まず、海に行くまでに山を越さなければならないのだが、これが相当難行苦行。急坂で自転車は破損。万引きを疑われ、危ない若者たちに絡まれもする。海に着いたら着いたで、ブーメラン島まで泳いで渡るというあまりにも無謀な道行。
そう、この冒険、ある意味「命がけ」だったのである。
知らないからいいようなものの、私が母親だったら半狂乱になるところだった。
だが、男の子はこのくらいの冒険をすべきなのだとも思ったりもしてしまう。
こういう矛盾も、素直に泣けない一因だろうな、と思う。
大人になった久田君は結婚し、女の子の父親となるがその後離婚する。
ゴーストライターという不本意な仕事で稼ぎ、養育費を送っている。
そんな倦んだ生活の中なか、ふと机の上にあったサバの缶詰に目が留まる。
貧しい暮らしゆえに同級生から避けられていた竹本君が、久田君のために握ってくれたサバカン寿司。
そしてあの夏の日々を思い出し、それを作品に書いたことで、少しずつ日常が変わっていく。
大人になった久田君を演じるのは草彅剛。
この映画は、大人の久田君が小学5年生のあの夏の日々を回想するという形で始まる。
そのスタイルもまた、「いかにも映画的につくられている」気がして、最初から最後まで、泣きながらけなしながら観ていた。
あの坂の 叫びは彼の 哀しみか
鞠子