昨日、「カキやサバが絶えず通り抜ける吉田類さんの消化器官と、カキもサバも一切通り抜けない私の消化器官」について書いたが、一方で、精神面に置いても同様のことが言えるのでは、などということに気がついた。
今年になってから、私のまわりに「家庭内のトラブルでにっちもさっちもいかなくなっている」人が複数人、出現したのである。
で、なぜかよくわからないが、私はその苦悩を聞く役になっている。
文字通り、聞くだけで、何かしてあげることも、できることもないのだが。
そうして聞きながら思う。
私は、自身、自立してから、家庭内のトラブル、あるいは身内のトラブルに遭ったことがない。そういうしがらみは、ほとんど持たずにすむ人生を送ってきてしまった。確かに幼少期は、両親のトラブルを普通の家庭以上に経験したと思うが、それらはもはやすべて過去の話で、もうすんでしまったことなのだ。
嫁姑・嫁小姑・親子・兄弟etc. そこに発生するややこしいトラブルを、私は全然知らない。おそらくこれからも知らずにすむ。一方で、生まれてこの方ずっとこのテのトラブルの渦中にいる人がいる。まさしく、吉田類さんと私の消化器官と同じだ。
だから、家庭内トラブルで苦しむ人々の話を聞いても、私には、実感として理解することができず、想像するだけで、ますます役には立てない。
なのになぜか、こういう問題で苦しんでいる人が、その苦しみを訴えてくる。
あんまりひんぱんにくるので、「あ、これは、本来私のところにくるはずの苦しみを、まわりが引き受けてくれているのだ」と考えたりして、本当に申し訳なく思っている。
しがらみが ないのを「孤独」と 人は言う
鞠子
