コロナ禍になってから、『吉田類の酒場放浪記』を観るたび、客との距離や、店の狭さ、大盛り上がりのご常連さんから「感染拡大」がまず頭に浮かんでしまい、ハラハラするばかりだった。
でも最近、それもちょっと慣れてきた。あの頃はあの頃、今は今、となんとなく割り切れるようになり、多少、気楽な気持ちで観ることができるようになった。
ところが昨夜、ふと、妙な考えが頭をよぎった。
類さんは、生ガキをさもおいしそうに食していた。しめサバやカワハギの刺身なんかも出てきて、これまたおいしそうな日本酒と共に楽しんでいらっしゃる。
私はカキを食べない。刺身も食べない。もちろんしめサバも食べない。
全く食べたことがないわけではないが、食べたのは、生まれてこの方、片手で数えられる程度だと思う。そして好きじゃない以上、死ぬまで、食べないはずだ。
…ということは、だよ、一生の間に吉田類さんという一人の人間の消化器官は、何十・何百というカキが通るのに、私のそれはほぼゼロだ、ということだ。
一生の間に、基本的に同じ構造を持つ胃や腸を通り抜けるものがこんなに違う。それが胃や腸の働きを老化させたり、あるいはがん細胞を出現させたり、ということにつながって当然だ、という気がしてきたのである。
アルコールなんかもっと顕著で。
一生の間に一滴も飲まない人もあれば、途方もない量を飲む人もいる。
アルコールが一滴も通らない胃腸と、毎日流れまくる胃腸。胃腸だけではない。それらを処理する肝臓やら腎臓も同様だ。
生活習慣病、とはよく言ったもの。
こんな当たり前&取るに足らないことを『酒場放浪記』を観ながらつくづく考えた。
拍動に 上下する胸 外は闇
鞠子
