家に帰ったら、玄関先に回覧板が立てかけてあった。
中を見たら、何枚も綴じてある諸連絡事項の書類の真上に、これだけ印字されたA4の紙がはさみこまれていた。
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N町にお住いの皆様へ
N町から一人、民生委員を出さなければなりません。
どなたかやっていただけませんか。
やっていただける方は090―〇〇○○―××××まで連絡ください。
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めっちゃ胸が痛かった。
民生委員をやってくれないかと、かつて現民生委員のⅠさんが二度もわが家へ頼みにみえたのである。
Ⅰさんは近所の人でもあるが、私の通っているスイミングでインストラクターをしている人。昼中のレッスンを担当しているらしく、仕事帰りしか行かない私は、まず、会わないのだが、たまに何かの拍子で出くわすこともある。
今回、頼みにいらした一回目は、そんな「何かの拍子」のすぐ後の日だった。仕事を理由に断ったところ、「他を当たってみる」と言われて帰られたが、やっぱり駄目だったようで、半月後ぐらいにまたいらしった。
この民生委員問題、前にも当ブログに書いたが、私が固辞する理由は決して「仕事」ではない。むしろ、一般的な勤め先に比べたら、このテの理由ならなおのこと融通が利く、と思う。だが、私は引き受けられない。「人のために何かする」ことに対し、私は多大なストレスを感じるからだ。かといって、引き受けていい加減にやり過ごす、いわゆる「名前だけ」のストレスも耐えられない。
二度断った後、しばらくして、スイミングで「何かの拍子」がまた発生した。
でも時のあいさつをしただけで終わってしまった。
どう考えてもIさんの方から経過を話すか、私の方からどうなりましたかと聞くのが自然だと思うが、Ⅰさんは何も言わなかった。私も何も聞けなかった。なんかものすごく気まずかった。
回覧板のなかのこのスカスカのA4紙を見て、Ⅰさんが何も言わなかった理由がよくわかった。
民生委員、決まってないのだ。だが、それを私に言っても「ムダ」であり、むしろ嫌な思いをさせることがわかっているから、あのとき、あえて触れなかったのだ。
Ⅰさんの思いやりだったのだと思う。
そして、この回覧板で民生委員が決まるとは、どうしても思えない。
そう思ったら、なおのこと、胸が痛くなった。
見ぬふりで 通り過ぎるも 胸痛く
鞠子