岐阜県岐阜市で、橋の下で暮らしていたホームレスに石を投げて死に至らしめた少年(←犯行当時)たちの裁判があった。
少年たちのやったことは許しがたい···ですませるのは簡単だが、犯行以前のモロモロが、ものすごく気になる。
彼らのなかには、野球をやっていた者がいた。そこそこの実力があったのに怪我で挫折。自暴自棄になったことはともかく、「球が当たったら強烈に痛い」ことは、嫌というほど体験しているはずだ。それよりかたい石を投げたらどうなるか。
想像だけど、「球が当たった痛さ」と「石が当たった痛さ」が結びつかない。そして「自分の体験した痛さ」と「人の痛さ」が一致させられない。これは、指先ひとつで敵を爆死させたり消滅させたりできるゲームが一因···と言ったら暴論だろうか。
それから、被害にあった男性について。
橋の下で、女性と2人、20年暮らしていた、という。
あの大雪の日も、台風の日も、灼熱の日も暴風の日も、橋の下で生活していたのである。
信じられない。
公的援助の枠からはみ出てしまったのか、強制力を持ってでも援助すべきだったのか、あるいは自身で援助を拒んだのか。
コロナだ、自粛だ、時短だ、10万円だと騒いでいた陰で、そのようなことは無縁のまま、ひっそりと橋の下に生きていた人たち。
犯人サイドに立っても被害者サイドに立っても、この事件、やりきれない。
聞こえない見えないところの息の音
鞠子