ナミダのクッキングNo.2971 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

昨夜、某大学主催のオンライン講座を受講した。月1回、シリーズで行われるもので、会場受講とオンライン受講が選択できるのだが、やっぱり会場はガラガラ。一方で、私のように、画面越しで観&聴いている人が数百人いるらしい。

 

この講座、毎回、司会の女性がたどたどしいことが、とても気になっていた。セレモニーの時間帯は遠くから撮影されているのでよく見えないのだが、明らかに学生ではない。事務方のスタッフだろうか。

 

この女性、おそらく原稿を読んでいる。それを読み間違えたり噛んだりする。

昨夜など、講師紹介の際「街づくりのオオヤである……」と言うので、え?と詰まった。

一瞬、オオヤは会社名か、はたまた講師の名字か、だったら呼び捨てはないだろ、と思ったが、次の瞬間、これは「街づくりのタイカである……」と言いたかったのではないか、と思い至った。

 

原稿には「大家」と書かれていたのではないか。これを「オオヤ」と読んだら、名前や社名などの固有名詞か貸家の持ち主になってしまう。その道に秀でた人という意味なら「タイカ」でないと。あるいは「タイケ」ならまだしも。

 

大学という最高学府主催でのこの間違いは、大いにがっかりした。

大学の質を疑ってしまった。

でも、この落胆をアンケートに書くのは、個人攻撃するみたいで気が進まなかった。

 

漢字の読み方を間違えたって、よしんば初めから間違って覚えていたって、どうということはない。知った時点で改めればいい。だがしかし、意味的にも「街づくりのオオヤである」に違和感を持たないその感度が、ある意味、恐ろしい。