ナミダのクッキングNo.2502 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

今日、初めて知った面白い言葉。
『蝉蛻至楽』
「センゼイシラク」と読むそうな。「セミの抜けがらのこの上ない楽しみ」と説明してある。

だいたいふたつ目の漢字「蛻」。初めて見た。
別の読み方をすると「もぬけ」。
そうそう、「もぬけの殻」の「もぬけ」のこと。

ともあれ初めて知った言葉なので、その意味、以下、ほぼ引用。

セミが抜けがらに言う。「お前を捨てたわけじゃない。恨まないでくれ」
抜けがらは答える。「気を遣わなくてもいいのです。あなたこそ、カラスに食われぬよう用心なさい。私は抜けがら、つまり自己を主張する中身がないから、何も怖くない。憂いもない。もちろん、足が折れても痛くない。迷いを離れた境地にいます」

…ううむ、深い(--;)
なんとも示唆に富んでいる。

からを脱いだセミは自由を得る。だが、命は短い。対する抜けがらは、吹き飛ばされるか朽ち果てるか、時の流れにまかせるだけだ。

「抜けがら=価値がない・無意味」、しかし、果たしてそうだろうか。
セミと比べ、不幸だろうか。
解説によると、抜けがらの言葉は「死生禍福を超越する至楽を語っている」、という。

抜けがらなんて価値がない、と言いながら、心のどこかでこういう達観を得られたらどんなにいいだろうという思い ―― 少なくとも、私にはある。
全くない、と言い切る人がいたら、私はちょっと疲れるな。

『田舎荘子』という江戸中期の滑稽本の中にある一小話なのだそうだ。
今から300年くらい前に書かれた、ということは、今では何やら様々発達したように見えるものの、ヒトそのものは、結局大して変化していないのだ。
そう思うと、ほっとするようなため息が出るような。