「人はなぜ戦うのか」という新聞の特集記事を読んだ。
人はなぜ戦うのか ―― 人は誰でも生まれつき「闘争心」を備えているから ―― だと思っていたが、ことはそう単純ではないようだ。
記事中、この問いに答えているのは国立歴史民族博物館の松本武彦教授。
最初に、えっ? と思ったのは、「農耕が始まると人は戦い始める」ということ。
だってどう考えたって、狩猟生活の時代の方が、戦いは起こりやすいと思う。数少ない・それも非常に仕留めにくい・その上、ひとつ間違ったら自分がやられてしまう獲物を狙って、戦いが起きるに決まっている。むしろ、農耕により、自分の手で自分が食べるものを作ることができれば、穏やかに暮らせるのではないか。
松本教授によると、そうではない。
農耕するということは「定住する」ということであり、これが戦いを生む。
定住すれば水や土地を「所有する」。結果、干ばつや飢饉といった非常事態に陥ると、所有物を横取りしようと争うようになる。
また、定住することで生活が安定し、寿命が延び、子どもが増える。となると、より広い農地・より多くの水が必要となり、やっぱり「隣から奪う」という争いが起こる。
・・・なるほど。
私は戦う理由を「生まれつきの闘争心」と思ったが、闘争心の以前に所有欲(←生きのびるるための)が根底にあるんだ。
そして次にえっ? と思ったのは「狩猟採集文化では、人間は自分のことも生態系の中に位置付けていた」ということ。
これは感動した。
今など、当たり前のように世界は「人+それ以下の生き物」と考え、「それ以下の生き物」は人のためにあると思っているが、縄文時代はそうではなかった。
「全部同位の生き物」という認識。だから人間は、食べる分だけ猟をしていた。
それに対し、農耕は「他の生き物」を管理することで、人にとって都合がいいよう支配する。そのうちに、「人+それ以下の生き物」という概念が築かれ、さらには他者を支配する世界観にもつながっていく。
となると、戦いをなくすことはできない、ということになる。
縄文時代はそれほど戦いがなく、弥生時代から戦いが始まったということは、なんだかこの先、ますます戦いの危険性増大、ということではないか。
記事中、「人間を戦争というくびきから解き放つことができるのか」というアインシュタインの問いに、フロイトは「攻撃本能を抑制する文化の発展に希望を託す」と書いたことも載っていた。
これもよくわかる。敵国のものであろうと、たとえば多くの人々を感動させる音楽も美術も間違いなく存在するのだから。
・・・だけどな。
なんとなく、総じて「文化」って、優先順位が落ちていっている気がするんだけど。
となるとやっぱり、先は暗い。
ますます暗くなっていく。
人はなぜ戦うのか ―― 人は誰でも生まれつき「闘争心」を備えているから ―― だと思っていたが、ことはそう単純ではないようだ。
記事中、この問いに答えているのは国立歴史民族博物館の松本武彦教授。
最初に、えっ? と思ったのは、「農耕が始まると人は戦い始める」ということ。
だってどう考えたって、狩猟生活の時代の方が、戦いは起こりやすいと思う。数少ない・それも非常に仕留めにくい・その上、ひとつ間違ったら自分がやられてしまう獲物を狙って、戦いが起きるに決まっている。むしろ、農耕により、自分の手で自分が食べるものを作ることができれば、穏やかに暮らせるのではないか。
松本教授によると、そうではない。
農耕するということは「定住する」ということであり、これが戦いを生む。
定住すれば水や土地を「所有する」。結果、干ばつや飢饉といった非常事態に陥ると、所有物を横取りしようと争うようになる。
また、定住することで生活が安定し、寿命が延び、子どもが増える。となると、より広い農地・より多くの水が必要となり、やっぱり「隣から奪う」という争いが起こる。
・・・なるほど。
私は戦う理由を「生まれつきの闘争心」と思ったが、闘争心の以前に所有欲(←生きのびるるための)が根底にあるんだ。
そして次にえっ? と思ったのは「狩猟採集文化では、人間は自分のことも生態系の中に位置付けていた」ということ。
これは感動した。
今など、当たり前のように世界は「人+それ以下の生き物」と考え、「それ以下の生き物」は人のためにあると思っているが、縄文時代はそうではなかった。
「全部同位の生き物」という認識。だから人間は、食べる分だけ猟をしていた。
それに対し、農耕は「他の生き物」を管理することで、人にとって都合がいいよう支配する。そのうちに、「人+それ以下の生き物」という概念が築かれ、さらには他者を支配する世界観にもつながっていく。
となると、戦いをなくすことはできない、ということになる。
縄文時代はそれほど戦いがなく、弥生時代から戦いが始まったということは、なんだかこの先、ますます戦いの危険性増大、ということではないか。
記事中、「人間を戦争というくびきから解き放つことができるのか」というアインシュタインの問いに、フロイトは「攻撃本能を抑制する文化の発展に希望を託す」と書いたことも載っていた。
これもよくわかる。敵国のものであろうと、たとえば多くの人々を感動させる音楽も美術も間違いなく存在するのだから。
・・・だけどな。
なんとなく、総じて「文化」って、優先順位が落ちていっている気がするんだけど。
となるとやっぱり、先は暗い。
ますます暗くなっていく。