好きな人とか尊敬している人とかの「嫌な面」を見てしまうと、すごく傷つかない?
好きなのも、尊敬しているのも、自分の勝手な思い入れであり、傷ついたって自業自得なんだけど。
少なくとも、相手に非は全くない。
…と、頭では重々わかっているのだが、実際、このテの傷心を、こんな年になった今でもたびたび味わってしまう。
だが、予期せず耳に入ってきたことor目にしたことで、ふっと救われたりもする。
たまたま、再放送サスペンス『十津川警部シリーズ』を観ていたときのこと。
高木亜木子(←弁護士)は、高名な能楽師・竹宮吾朗(家元でもある)と恋に落ち、子どもを身ごもるのだが、彼に打ち明けず、一人で生み、育てることを決意する。
その理由は、自分自身、弁護士という仕事を全うしたかったこと、普通に結婚して子どもを生んだら、その子の意向など関係なく、能楽師にして後継ぎにしなければならないことetc. いろいろあるのだが、私が救われたのは、亜木子の要旨この理由。
「吾朗は、能楽のためだけに生まれてきた天才&超人。普通の『人』ではない。人間を超越している。決して夫向きの人間ではない」
え? こんな言葉に救われるなんて、気がしれない?
でも、何千人に一人か何万人かに一人か、絶対こういう人、いると思う。
超人。だけど、一般的な「人としての常識」は全く理解せず、通用しない、という人。
私が好きな人や尊敬する人は、これほどの「超人」ではないにせよ、明らかに私よりは「上の上のそのまた上」にいるわけであり、「私の常識」など通用しなくたって当たり前なのだ。
そう考えたら、なんだか救われるじゃないの、ね。
はい、これは原作・西村京太郎で『京都・恋と裏切りの嵯峨野』。
高木亜木子を演じたのは田中美奈子さん。問題の竹宮吾朗は篠井英介さん。十津川警部は定番・渡瀬恒彦さんであります。