明治生まれの歌人・国文学者、窪田空穂の言葉。
「書簡は、直接に逢って話をする時よりも、控え目に書け、少し丁寧なものの言い方をせよ…行き届いた人の書簡を、多少注意して読むと、この控え目と、少し丁寧ということが、必ず守られている」
――わかる、これ。すごくわかるわ。
私は最低限のメール送信しかしないが、それでも前に一度、痛い目にあったことがある。意見が食い違った案件について、友とメールでやりとりしているうちに、どう読んでも相手は「怒っている」としか思えなくなり、返信するのが怖くなってしまった。
以後、会っても私はぎこちなかった。
顔を見て話せばこんなことにならなかったのにとすごく悔やまれた。
電信は、基本的に「日時と場所をお知らせするだけ」とか「イエスかノーか聞くだけ」とか、単純な連絡に限る。複雑な心情や事情をメールに記すのは、できる限りしない(←正しくは『しない』じゃなくて『できない』(--;))…というのがマイルール。
ましてやラインとかメッセンジャーとか、即読・即答を要求されるものは、私には向かない。
冒頭の窪田空穂の言葉は、手紙文化研究家の中川越さんのエッセイから拾ったもの。
中川さんによれば、この空穂の言葉を「手紙の感性の伝統」と記している。
通信が便利になればなるほど、本来は大事にせねばならないはず。
少し控え目・少し丁寧なものの言い方…… いいな、これ。私も心する。