遊郭がそのまま博物館になっている古い建物を見に行った。
子どもから大人まで、大勢見学に来ている。
女たちは首筋まで真っ白に塗り、この苦界で心身を刻んだのだと思いに耽っているとき、前から長身の男の人が歩いてくるのが見えた。
ちらと見て、からだか動かなくなった。
え…え…もしかしてS君?
一重まぶたにすき気味の長いまつげ。
少し頬がふっくらした。髪も年相応に薄くなっている。
でも、面差しが似ている。
30年近く会っていないが、年をとったらこんなふうになるのではないか、と思える。
だが…
こちらに向かって歩いてくる。
向こうも私を見ている。
その目は私と同じ疑問をたたえていた。
もしかして、鞠ちゃん?
面差しが似ている、しかしもう、30年近く会っていない、と。
すれ違いざま、耐えられなくなり私は聞いてしまった。
「もしかして、S君?」
彼の目が、疑問から驚きに変わった。
「鞠ちゃん、だよね」
私は胸が一杯になった。
まわりの人など、誰も見えなくなった。
私たちはお互い、何も言葉が出てこなかった。
幼い女の子が彼の足にまとわりついた。
「パパ、パパ」と連呼している。
「ちょっと、見てて」とS君は、後ろにいた女性に女の子を押しやった。
S君と奥さんと娘さん。
それを察知して、私はますます胸が一杯になった。
でも何か言わなければ。言わなければ、「一瞬だけの偶然の再会」で終わってしまう。
押しやられても女の子は、容易に彼の足を離さなかった。
「近いうちに、ゆっくり…」
彼は女の子を横抱きに抱えてそう言った。
女の子を離すのを諦めたのか、あるいは社交辞令なのか。
私もゆっくりあなたと話がしたい。どうしても、話したい。
社交辞令にしたくない。
とっさに思いついた。
「あの、私の名刺を。ここに携帯とメールアドレスが…」
だが、いつものごとく、乱雑なバッグのなか、名刺入れがなかなか見つからない。
「あ、そうだね、名刺。これ、僕のだから」
S君の方がすんなり名刺を出した。
だが、どうしても私も名刺を渡さなければならない。
彼の方が、物理的にも状況的にも時間がとりにくいはずだ。
私はいくらでも融通がきくから、S君から連絡をしてほしい。
名刺を探してもたもたする私を見て、S君は笑った。
「鞠ちゃん、変わってないねえ」
――ここで目が覚めた。
20代前半、私はS君と2年ほどつきあっていた。
この人と結婚する…という思いもチラチラ頭をよぎっていた。
S君が今、この夢の中のS君みたいな面差しになっていたら、怖いものがある。
もちろん、確かめるすべもない。
確かめたい気もするが、全ては夢の中のみ。
…目覚めて後、私はしばらく呆然としていた。