ナミダのクッキングNo.2254 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

名古屋フィルハーモニー交響楽団定期演奏会〈文豪シリーズ〉。
第1回目は、4月21日に行われたドストエフスキーの『死の家の記録』だった。
これ、読んでから聴いたので、感動もひとしお。
やっぱり、読んでから聴く方がいい。
で、次回の作品、バイロン『マンフレッド』をさっそくネットで購入…と思ったのだが、かなり古い本ゆえ、中古しかなく、それも相当お高い。
県立図書館には蔵書があるようだが、実は私、「借りた本は苦手」なのである。
汚さぬよう、気を遣って持ち運びしたり読んだりするのがおっくうなので。

図書館に行く時間も捻出できそうにないし、ま、今回はあきらめるか、と思ったが、どうにも面白くない。それで、しばしばアマゾンをのぞいていたら…

出た!中古で1000円\(^.^)/

コンディションは「可」なのに文庫で1,000円、それでもお高くはあるが、背に腹はかえられないのでさっそくご購入。
届いたのがコレ↓


もう、感動してしまった。
だって 、
 
ンイカ ・ドッレフンマ
著ンロイバ
 
なんだもの。
うちにもかなり本があるが、題名や著者が右から書いてある本は1冊もない。

いったいどれだけ古いんだろう……

「昭和15年発行」とある。なんと、78年前の文庫本。
おまけに、開けたところに、「甚三蔵書」なる角印まで押してある。
本文にも、赤えんぴつの傍線やレ点があちこちに施されている。
 
いったい、何人の人の手から手にわたって私のところに来たのだろう。
これを読んだ人たちは、何を思い、何を感じたのだろうか。
どんな思いで赤を入れたんだろう。
それ、考えるだけで、とってもロマンチックではないか。
 
 
 
 
 
俺の睡(まど)ろみは ― 假令(たとい)睡ろむにしても ― それは眠りではない。何時までも續(つづ)く思想の連續(ぞく)だ。
――バイロン『マンフレッド』(訳:岡本成蹊)より(読み仮名は私が勝手にふりました)