先だって春期のエクステンションカレッジ文学講座、課題本は三島由紀夫の『愛の渇き』だった。
はじめて読んだ。
書きすぎでうっとうしい。
微に入り細に入り書きすぎるから、矛盾を感じてしまうところもある。
読み手に想像の隙を与えない。
第一、ヒロイン悦子がありえない。
情念まみれで心中ドロドロなのに、それが精緻な言葉で理路整然と描かれるなんて、おかしいではないか。
読み始めた早い段階から、イラつくわ、イラつくわ。
もう、うんざり。
…というような内容のレポートを出したら、先生から鋭い一矢が飛んできた。
「うんざりしたと言いつつ、この方、最後まで読まれたんですね。結局三島の手のひらに乗ってしまったんですね。そのことに、お気づきでない」。
…☆………☆…★★…………
昨日、今日で、3店の本屋に行った。
探している本がある。
図書カードを消化したいので、アマゾンじゃなく、本屋で購入したい。
しかし、3店とも、探し本はない。
せっかく来たので見て回った。
本屋には、磁石があるのか。
立ち止まると、なぜか目の前には三島の本が並んでいるのである。
三島に辟易しているくせに、どうしても凝視してしまう。
そしてつい、『作家論』を手に取ってしまった。
あんなに太宰を嫌った三島。
嫌いぶりがあまりに過激なので、これは羨望の裏返しに違いないと思っていた。
ドナルド・キーン氏いわく「三島は基本的に鷗外より太宰にずっと似ていた」。
…なぁるほど。
子どものやんちゃみたい。
かわいらしいところが見えて、ほっとする。
ならば他の作家についても、さぞ、興味深い評価をしているに違いない。
で、結局、『作家論』購入。
レジで図書カードを出しつつ、「三島の大きな手のひらに乗っている自分」を自覚して、笑えてしまった。
イライラとしながら登っていたなんて
鞠子